2013年05月31日

民泊から/「知恵」は愛の行為【2013年春GNHツアー報告集より】

民泊に魅力を感じて、このツアーに参加したわたくし。ブータン中央部の首都ティンプーから標高3150mドチュ・ラ峠を越え、観光地プナカ・ゾン(城塞)を経、午後五時、クルマの走行実6時間ばかり、民泊の地・北部の僻村ガサのザンビ集落に到着。

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国じゅうがきびしい山間にあるこの国。プナカまではまだよかった。それからのほぼ3時間、峻険な山を切り開いた、クルマ一台が通れるばかりの狭い山道を行く。右側は吸い込まれるような底深い谷の崖、左側はまた、覆いかぶさるように切り立つ崖。ブルドーザーで引っ掻いたなりの荒々しくも生々しい山肌を見せ、落石防止の吹付けも、防石の網も張られていません。ところどころ、道の真ん中に大きな石が転がっています。道の端を見れば、小さな石の群れが寄せ集められています。上から落ちてきた石なのでしょう。山肌を見上げれば、一メートル四方もある岩石が山肌から飛び出しながら、小さな石に支えられて留まっているのが目に入ります。ガードレール皆無の道から急角度の下に谷底を覗きこめばまた、クルマ酔いなどしている余裕はありません。

道は狭く、舗装なく、デコボコは激しく、曲折は多く、曲がり角では、沢筋に当たるのでしょう、水がザアザアと山道を横断して谷に流れ落ちています。その冠水する曲がり道をクルマはゆっくりと慎重にハンドルを切り、通り抜けます。運転は超一級。わたしたちの運転ならば、ザンビならぬゾンビ村行きだったでしょう。

さて、民泊です。わたしが泊まった家は、かの地の通例ですが、大きな家でした。家の内に水道もトイレもありません。家から下方約10mほどに水道菅が一本、大地からにょっきり木が生えているような恰好で、ありました。その家の若い妻が洗面器になみなみと水をたたえ、粗末な階段を上り下りし、家の内と水道を何度も往復していました。

トイレは水道から更に15mほど先、段差ある畑地のなかにありました。夜中にトイレに立ちたくなったわたしは、戸口を開けて外へ出ました。なんと、雨! 真っ暗です。外気はひんやりと冷たく、ダウンのジャケットを着、懐中電灯を灯し、段々畑のなかを行き、丸太で作った小さな階段状のはしごを這うように下りました。丸太は雨でヌラヌラし、滑りやすくなっています。右手は棒の杖で下方の地を刺し、左手は上方の大地をつかんで、わたしは身を支えました。傘をさす余裕はありません。そうしてまた、雨に濡れ、畑地の間を今度は上り、戻りました。

老人や病人など弱い者は暮らすだけで大変、と思いました。日本の現在のわたしたちの恵まれた生活は、先人たちの「知恵」の営為のおかげ、敬虔の念と感謝を捧げずにはいられません。そうしてわたしたちもまた、「知恵」の営為をたゆまず歩もう、と思わずにはいられません。「知恵」とは、生命の安全と、弱い者もまた楽しく安全に暮らすことのできる愛の行為です。

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(2013年報告集より/報告者:篠田治美さん)


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2013年05月30日

「をかしきこそもの狂ほしけれ」/糞尿とオーガニック【2013年春GNHツアー報告集より】

『枕草子』に次のような章段がある。岩波新体系版207段。以下は、拙なる抄訳。

「牛車が通り過ぎていくとき、夏は車の簾を上げているのが涼しげでいい感じ。乗っている人が琵琶をかき鳴らし、また笛の音が聞こえてくるのは風流ね。車が通り過ぎて行っちゃうのが残念。と、思われるそんなときよ。牛の落しものの臭いがブーンとしてくる。下品な臭い。わたしって嗅いだことがないからかしら、(省略)」

タクツァン僧院。見上げるばかりの急角度の絶壁の側面に建つ。かの地の人々が熱烈に信仰するグル・リンポチェが瞑想し、悪神の数々を調伏する力を得たという聖地。青空を背景に、見上げるばかりの山が目の前に迫る。標高2500mの麓から2800mの中継点まで、まずは2時間弱ばかり尾根を登る。乾燥した土埃が歩くごとに舞い立ち、靴もズボンも埃を吸い込んであっという間に白茶ける。しかも土埃が舞い立つごとに、馬の糞の臭いが鼻先をつく。聖地巡りの客をその背に乗せる商い人の馬どもが、山道を駆け上り、駆け降りる。馬は生きているのでものを食べる。食べれば出る。彼らは走りながら出す。細い山道のいたるところに糞が落ち、土を埋め尽くすばかり。踏まずに行こうと下を向いて歩けば、土埃とともに立ちあがる臭気をまともに吸い込む。上を向けば、落しものを踏んづける。馬は有機系(オーガニック)エンジンで動く。「オーガニック」ってそういうこと。糞尿は糞尿。

タクツァンの「聖なる」参道たる山道を歩きながら、牛車が走るごとに糞が落ちる千年前の都大路を想う。とはいえ、平安京は糞を拾い集めて循環サイクルに持ち込む下衆の人たちがいた、とかいう。ガサの民泊では、60余年の我が人生初めて、ダニに食われた。同行メンバーの数人も、食われた。帰国後三週間過ぎてもなお、かゆみと赤いポツポツの痕は残った。他人さまへの「おみやげ」にならなかったのは、不幸中の幸い。ダニは不衛生なところが大好き。「オーガニック」は大地の循環サイクル機能が整えられて初めてオーガニックである。あるがままの放置状態を「自然」とし、糞尿を「オーガニック」とするダニの世界、それはたしかに日本の現在にはない。

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さて、先の拙訳部分に続く省略した一行は、原文「をかしきこそもの狂ほしけれ」である。直訳「(臭いが)趣き深いことこそ、気ちがいじみている」では、何を言っているのか分からない。「(臭いが)おもしろいのよ。それって、もの狂おしいほどステキ」、ではもちろんないだろう。拙訳はこうだ。「そんなものステキ! なんて思わないわよ。それなのに、ステキになっちゃったりして、バカみたい。」

(2013年報告集より/報告者:篠田治美さん)

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2013年05月29日

ブータン旅行で感じたこと【2013年春GNHツアー報告集より】

(真面目な話)
GNHの概念を知ったとき、とても素敵だけれど、なんてふわふわした、曖昧なものなのだろうと考えていました。
しかし関連書籍を読むにつけ、興味がどんどん湧いてきて、ブータンツアーに参加しました。

国民の充足感を最大化する、というスローガンは一見して理想論だと言われがちです。
しかし実際には非常にロジカルなものの考え方でした。
GNHコミッションは、幸福感と相関のある100以上の事項を大きく「持続的・公正で社会的な発展」「文化的な者の保護と発展」「環境保護」「よき統治」の4つに分類し、それぞれ指標を定め、そのスコアが上がるように、Plan-Do-Seeのサイクルを回しているとのことでした。
そこには継続的に平和で安全な暮らしを守ろうとする人たちの、聡明さとしたたかさ、挑戦意欲が見られます。
先進国の失敗の轍を踏まないよう注意深く発展の方向を選ぶ様子は、後進国であることが強みにすら感じました。
世界が未来に希望が持てるとしたら、それはこの国の生き方にヒントがあるのではないでしょうか。

ただ、継続的な平和・安全の維持活動の基礎として、ブータンの豊かな自然、および国民の多くが敬虔なチベット仏教徒であることは深くリンクしていると感じています。
輪廻転生を信じているからこそ徳を重んじ、自然や他の生き物とのつながりを尊重していることは他の国にはそうそう再現できない重要な資源であり強みです。

「あなたが幸せって感じる時ってどんな時?」と尋ねると、道行く人は「人に親切にするときですね。気持ちよいと感じます」と答え、年をとった農家の方は「頑張って農作業をして、たくさん獲れた収穫物を家族や周りの人にシェアするときだね」と答える。そんな人たちが、この国の最大の資源だと思います。

そういう資源を持たない国が心の充足度を高めていくには、何が必要なのか、自分にはいったい何ができるのかと、とても考えさせられる旅でした。

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(くだけた話)
ブータンには「夜這い」文化が残っており、英語で「Night Hunting」というそうです。
電気が通ってからは親に見つかりやすくなっちゃってさ〜、昔は良かったよね〜というようなことを男性は口々に言います。
話には聞いていたものの、またまた〜と思っていたら、民泊した村でも実際にまだあるそうでびっくりしていました。
出会った村の青年に「あなたかわいいね!あなた独身?僕も独身!じゃあ今夜、夜這うね♪」と軽口をたたかれたのですが、(※ブータンの男性は、イタリア人顔負けに女性を褒めるようです)またまた〜と思っていたら、深夜丑三つ時、ゴトっ、ガタっ…という音がして目が覚め、私の心臓は動悸で口から出るかと思うほどでした。…そのあとどうなったのか!それはナマケモノ事務局までお問い合わせくださいませ。笑

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(2013年報告集より/報告者:前田さん)


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