2013年08月07日

焚き火トーク:オーガニック・コットンプロジェクト

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2012年11月、東部ブータンツアー報告集より。

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村の助役のカルマ・ワンチュクさんと村のオーガニックコットン責任者のペマのお父さんを囲んでオーガニックコットンプロジェクトについてディスカッションをしました。また昨日聞けなかった村の生活についても伺いました。この話し合いの時昨日来られなかった村の人たちがぞくぞくと私たちを歓迎するために色々なお土産をもって次々に訪ねてきてくれました。

私たち一人一人に村の女性がキャッサバやピーナッツ、卵、みかん、アラ(ブータンのお酒)などを持ってきてくれます。そのなかの女性の一人が一言「私たちには何もなくこれしかありません。ぜひ受けとってください」と言ってくれました。

ここで出してくれているものはすべて買ったものではなく村の人が持ちよってきてくれたものです。食事の後は、ツアー参加者と村の人たちと火を囲み、ブータンの歌を歌い、その歌に合わせてみんなで踊りました。

<カルマ・ワンチュクさんの紹介>

カルマ・ワンチュクさんは村長の次の位の助役です。ここでいう村はチモン村だけではなくこの地域の5つの村をあわせた村のことをいいます。これを「ゲオック」と言う行政区分になります。ゲオックは日本でいう郡です。そのゲオックの助役です。ブータンでは助役のことを「マンガ」村長のことを「マンガップ」と呼びます。

Q.オーガニックコットンプロジェクトついて今は何人かの有志で試験的にやっていますが、村全体のプロジェクトになるといいと思っています。印象はいかがですか。

カルマ:オーガニックコットンに関して実は新しいことではありません。我々が昔から長々と伝統を持って行ってきたことですが、いつの間にか忘れて廃れさせてしまいました。そしてそれを無視してきました。このプロジェクトは文化の復活という意味で重要だと思います。しかし自分自身はコットンを育てていた時代を知りません。そういうことで少し自信がありません。(註:カルマさんは38,9歳)

Q.どうしてこの伝統が廃れたと思いますか?

カルマ:理由はよくわかりません。しかし、ペマが言っていることなのできっといいことだと思っています。私はこの村でコットンを作っていたことを全く知りませんでした。この話がでて驚きました。

<石井朝子さんから国際的にオーガニックコットンを栽培する意味を説明>

石井:私はインドを中心にオーガニックコットンの生産者とともに作ったものを世界の市場にむけて生地や服として広げていく仕事をしています。まず、世界の市場を考えるとコットンは95%が遺伝子組み換えです。4%が普通の農薬や肥料を使った方法で作られ、残りのわずか1%がオーガニックというのが現状です。

正確にいうと1%以下です。地球上に育てられているコットンのなかで1%以下しかオーガニックコットンは存在しません。オーガニックコットン栽培することは地球的規模でみてもものすごく貴重なことです。

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<辻信一さんから遺伝子組み換えの種(GMO)について説明>

辻:コットンの場合は食べ物ではないのですごく広がりました。虫に強くすごく強力な除草剤に耐えうるコットンを作りました。飛行機から除草剤をまくとほかの草は死にますがコットンだけ生きています。こうしてモンサントは種や除草剤を売って儲かる仕組みを作りました。これが色々な問題を引き起こしています。

一つの問題は環境汚染です。除草剤をたくさん使用しているので多くの人々が病気になり死にます。もう一つの問題は耐性の草や虫を作り出すことです。殺虫剤では死なない虫がでてきます。それが広がると生態系が全部壊れてしまいます。借金して種や除草剤を買ったものの耐性の虫や草がでてくると思ったとおりにコットンはできません。そして倒産してインドの農民に多数の自殺者がでています。

辻:ブータンの首相と面会して直接聞いたことですが、ブータンは「オーガニック国家にする」と宣言しています。これは国会で決めたことです。オーガニック国家にするには時間がかかります。化学肥料や除草剤を使っている人もいます。今その人たちを急にやめさせるのではなくて時間をかけてそっちの方向に導いています。

テストケースとして10年前からガサ県をオーガニック県にしています。今完全にオーガニックになっています。オーガニックでもできるということがわかりました。

Q.仏教的に農薬で虫を殺すのはよくないことだと思いますがどうですか。

辻:殺虫剤は使っていないところが多いです。しかし草ならよいと除草剤は使っているところがあります。除草剤によっては川の生き物もみんな死んでしまいます。除草剤で動物たちが死ぬことまで考えていません。西の方から使い始めています。

Q.オーガニック以外の方法は知っていますか。

カルマ:「ユーリア」という化学肥料がここに政府から紹介されたことがあったことを覚えています。使い始めたら土が固くなってしまいました。いいところがないのにお金がかかってしまします。それならそんなものいらないと元の方法に戻りました。
 
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2013年08月06日

チモン村の学校訪問

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<<2012年冬、ブータン東部ツアー報告集より>>

ツアー4日目午後、チモン村の学校を訪問しました。まず校長先生から学校についてお話しを伺いました。その後、下條ゆりさんを中心にツアー参加者みんなで生徒に鶴の折り方を教えました。
鶴教室が終わり、ツアー参加者の自己紹介を行いました。そして生徒へインタビューをしました。生徒から歌のプレゼントを頂きました。お返しに日本の歌、カエルの歌(輪唱)と故郷を歌いました。

<校長先生の説明>

6歳になったら学校へ入ります。ブータンの公用語はゾンカ語ですが、ゾンカ語は西部の言葉のため、ここでは入学前はシャチョップ語(東部の言葉)しか話せません。入学してゾンカ語、英語の2つの言語を習います。

入学後、シャチョップ語で質問されても、先生はゾンカ語か英語で答えるようにしています。この学校に来るということは、新しい言葉を2つ学ぶのだということを徹底しています。今後世界とやりとりするには必要なことだと思っています。

学校は義務教育です。歴史は新しくこの学校は先日25周年を迎えました。ペマの子供の頃にはありませんでした。昔はブータン人の先生がいなかったのでインド人が先生をやっていました。私はこの学校の最初の生徒でした。先生になり約11年ペマガチェルの学校で教師をしていましたが、今年自分の母校に校長として帰ってきました。

11月11日に25周年記念の会を開催しました。この学校の創設者や近隣の学校の校長を来賓として呼びました。創設者は学校を竹で作り、屋根はバナナの葉っぱだったと言っていました。そういうところから非常に苦労して立ち上げていきました。そういった功績をたたえて、30p弱のブッタの像を差し上げました。校内にあるマニ車も25周年記念のために新しく作られました。

今生徒の人数は65人です。PP(Pre Primary)の生徒は今ほとんどいませんが来年は増えて全校の生徒数は80人から90人になる予定です。
※PP:日本でいう幼稚園みたいなもの。ブータンでは幼稚園に入るとは言わず、学校に早く入るという感覚。

教室に移動してみんなで折り紙で鶴の折り方を教えました。みんな器用でうまく折ることができました。

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<校長先生より>

みなさんをお迎えして光栄です。この子たちは初めて海外の人を迎えてそしてこうやって交流できています。彼らの記憶にも刻まれると思います。ありがとうございます。

<生徒へ質問>
生徒へ質問しようとすると恥ずかしがってなかなか答えてくれませんでした。そのため質問を投げかけて手をあげてもらう方式に変えました。

質問内容・・・幸せな時はどういう時ですか?どういう時楽しいですか?
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・勉強している時
・ダンスをしている時
・ご飯を食べている時
・お父さん、お母さんの手伝いをした時
・仕事(掃除、料理)している時
・赤ちゃんの世話をしている時
・本を読んでいる時
・宿題している時
・勉強しているとき、科目は科学、数学、英語、ゾンカ語などがあがりました。

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posted by GNH at 12:58| Comment(0) | 東ブータン

2013年08月05日

オーガニックコットン畑でインタビュー


<チモン村のオーガニックコットンについて>
インタビュー:2012年11月
文:小久保裕史

前回3月のツアーの時、辻さんとペマはオーガニックコットンについて話し合いました。最初村へコンタクトした時には種がなくてコットン栽培はできないと思いました。しかし、近隣の村に聞き山の向こうのニャスカル村に種がありました。ペマのお父さんはすぐに種をもらいに行きました。ニャスカル村では今でも自給用のオーガニックコットンを育てており、実際にオーガニックコットンの服を着ています。

ニャスカル村でもらった種だけでは足りなかったので、近くの小さな谷に住むボニンさんから種をもらいました。ボニンさんは今でも昔ながらのコットンを作っていて、2年前テレビに出て評判になりました。地域に残って伝統的農業をやることはいいことだという番組でした。政府はこういう生き方があっていいことだといっていました。

ブータンでは4月からモンスーンの時期で少しずつ雨が降り始めます。そして8月いっぱいから9月の初めまで降り続けます。今回種を播いたのは6月末でした。本来なら2カ月前の4月に播くのがふつうです。今回は種をまく時期が遅かったです。普通なら今(11月下旬)収穫期なのですが遅れています。

今回は胸から腰くらいの高さですが本当ならば人間の背丈以上になります。昔は畑のなかに立つと向こうにいる人が見えないくらい高くなりました。蕾も手のひらくらい大きくなります。それに比べて生育は悪いですが蕾は固くしっかり育っています。普通に育ち天気が良ければコットンの収穫時全体が白くまぶしいくらいです。

畑は火を放ち準備をします。しかし今年は雨季が始まっていたので燃やすことができなくて、畑にできなかった場所があります。そのため今年は実験的に小さい土地でやりましたが、来年からは広げたいです。近隣の村の人たちもとても興味を持っているので、来年からは大掛かりにできるのではないかと思います。今の倍くらいはできると思います。
  
昔コットンを育てていた時は、ものすごい量のコットンを作っていました。切り開くところから収穫までそこに小屋を作り住んでいました。収穫してここで糸を紡ぎ染色して織って着物まで全部ここで作りました。

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Q.ニャスカル村やボニンさんから譲って頂いた種はもらったのですか、それとも買ったのですか?

A.種は買ったのではなくて頂きました。

Q.この場所は昔コットン畑だったのですか?
A.以前は雑穀とトウモロコシ畑でした。その後作物は作らず草むらになっていました。そこを急遽開墾してコットン畑にしました。

Q.コットン栽培はなぜ廃れたのですか?
A.35年位前に辞めてしまいました。その頃初めて東側にも道路が登場しました。モンガルやタシガンに道路が来ると、チモン村や周辺の村の人々は労働力としてかり出されました。労働をすると現金収入が入ります。収入を得れば簡単に服が買えることを知りました。いくらコットンを作ったところで、自給にはなっても現金にはなりません。現金収入が重要になりました。そして徐々に市場経済に巻き込まれていきました。コットンを育ていく意味がなくなり忘れられてしまいました。

Q.コットンは大量の農薬を必要と聞きます。オーガニックコットンの栽培のむずかしさを感じませんか?
A.一切農薬も何もいりません。ただ今回は種を播く時期が遅かっただけです。天敵としてはねずみ、鹿があげられます。鹿は木全体を食べてしまいます。向こう側では鹿に食べられた後もあります。獣道を把握しているのでその出入り口に罠を仕掛けてあります。昔そこに小屋を建てて住んだという意味はそれも関係があります。それと古い種だとうまく育ちません。

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Q.自家採取はできますか?
A.自家採取しています。

石井:インドではコットンの種は買うものです。オーガニックはオーガニックの種屋から買います。

辻:チモン村は自給の村だから市場経済の段階が違います。ブータンの農家では遺伝子組み換えなど知りません。酵母も自給しているくらいです。

辻:単にオーガニックコットンを経済市場に出すのでは太刀打ちできません。オーガニックコットンを求める人やフェアトレードならオーガニックコットンを買いたいという人が世界中にいます。その世界のニーズとつながりながら文化を復活させていけばよいと思います。しかも経済的な基盤にもつながっていきます。

これは理想郷で夢みたいな話ですが、まだブータンならあり得るのではないかと思います。なぜならブータンは国を挙げてオーガニックに舵を切ろうと決めた国なのです。そんな国は世界中にありません。うまく利用して村の持続可能なあり方をここからモデルとして提案できればいいなと思います。


★チモン・オーガニックコットンの収穫期を訪れる、2013冬ブータンGHNツアー。詳細はこちら