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■3.21東京イベント
『ブータンチモン村で甦るしあわせのコットン
〜衣から考えるGNHとローカリゼーション』報告
3月21日(金・祝)@国分寺・カフェスロー 18:30〜21:00
共催:カフェスロー 協力:xChange
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ペマさん来日ツアーの東京イベントは、ナマケモノ倶楽部のホームともいえる国分寺カフェスローにて開催されました。この日限定の“カフェスロー特製ブータンプレート”にはペマさんがブータンから持ってきてくれた唐辛子を使用。ピリ辛のブータン料理は大好評!ブータンを味わい尽くすイベントになりました。
来場者の半数近くはこれまでにGNHツアーに参加したことのある人で、再会の挨拶が飛び交い、まるで同窓会のよう。そんな和やかな雰囲気の中、ブータンのこと、GNHツアーのこと、そして故郷ブータン・チモン村で始動した「チモン・モアン(チモンの綿)」プロジェクトについて、ペマさんにお話を伺いました。ブータンジョークには何度も笑いが起こり、ブータンを一緒に旅した人にとっては懐かしさがこみ上げる、そして、初めて出会う人は不思議に魅了される、そんな楽しい時間となりました。
また、ペマさんの話を聞いて、わたしたち自身の「ファッション」についても考えるイベントにしようという趣旨のもと、当日は会場内にてxChangeが同時開催されました。xChangeとは、着ないままタンスの肥やしとなっていたまだ着られる服を、お金を介さない物々交換によって循環させる仕組みのことです。スタッフや参加者の間で、会話が弾む様子が見られました。
■第一部
「チモン・モアン(チモンの綿)」プロジェクトは、開発により廃れてしまったコットンの生産とその文化を40年ぶりに蘇らせようという運動です。着倒れ文化をもつブータンでも生地の原料の多くをインドからの輸入に頼っているのが現状で、そしてそのインドでは、コットン生産のうちの95%が遺伝子組み換えです。村の人に譲りわけてもらった綿の種を蒔きスタートしたこのプロジェクトは、今年3年目の収穫を迎えるそうです。外国に頼らず、綿から自分たちでつくり上げた試作品のゴ(ブータンの民族衣装。イベント中ペマさんが着用していたもの。)は、ブータン人の間ですでに大評判で、需要が見込めそうだとペマさん。チモン村の産業として確立させ、過疎地域におけるひとつのモデルになることを目指していきたいと話されました。「日本の皆さんと一緒にこのプロジェクトを進めていくことを心から楽しみにしている
という言葉に、参加者からは、日本からどんな協力ができるかという質問があがりました。実際に現地に行って交流し、手伝いをすることはもちろん、デザインを考えたり、販路を確保したり、また道具の改良や、現地の若者への教育という様々な形での協力をお願いしたいとのこと。ペマさんの「わたしはお金儲けのために仕事をしたくない、心の交流が一番大事だと思っている」という言葉がとても印象的でした。「自分が困っている人を助けることができて、それを続けていくことができれば、神の導きがある。その導きによってわたしもまた幸せになれる
。ビジネスにおいてもこの信念を曲げないペマさんのスタイルこそが、しあわせの秘訣なのかなと思いました。
■第二部
休憩を挟んだ後半は、2012年にブータンツアーにも参加した笹森怜子さんが、民族衣装であるキラをまとい、歌を披露してくださいました。一曲目はなんと、ブータンの歌「グズザンポー
!これにはペマさんも大喜び!
第2部のテーマは、わたしたち自身の「ファッション
に向き合い、そして、変えていくこと。xChangeスタッフの北川美奈さんと平石真依子さん、そして、オーガニックコットンのビジネスに取り組むGreen Tee石井朝子さんにご登場いただき、それぞれの活動のお話を伺ったあと、辻さんを交え、トークセッションが繰り広げられました。
おしゃれにディスプレイされたxChangeコーナーには、現代のわたしたちの“ファッション文化”の貧しさを示す言葉が書かれたポップが飾られています。「10キロ購入し9キロ捨てる日本人」、「Tシャツを作るのに大さじ10杯の農薬を使用」――。2007年にスタートしたxChangeは、古着を交換によって循環させることで、環境への負荷を減らすこと、そして「モノ」や「消費」について考える機会をもつことを提案しています。また、呼びかけに応じて団体や個人が全国各地で自主開催するxChange交換会では、交流から新たな繋がりが生まれているそうです。ただの交換会にとどまらない、自分たちでコミュニティをつくり出していくムーヴメントでもあるのです。北川さん、平石さんも、この繋がりが楽しくて活動を続けていると話されていました。
続いての登場はオーガニックコットンの素材屋、GreenTeeの石井朝子さんです。石井さんは、2012年にペマさん、辻さんと一緒にチモン村を訪れました。オーガニックコットンの世界事情から、石井さんがこの仕事を始めた理由など、興味深いお話を聞くことができました。コットン製品のうちオーガニックの物は、現在世界中でたった2%だそうで、この割合をどんどん増やし、「土も水も空気もきれいな地球にできたら
とお話してくださいました。
4人のお話は、わたしたちのライフスタイルがいかに地球に負荷をかけ、持続可能でないかを改めて気づかされるものでした。大量生産、大量消費がいいとされ、「効率のため
とたくさんの農薬が撒かれたり、使い捨てが当たりあえのようになっていたり…、これではどう考えても地球がもちません。こういう消費の習慣からなるべく離れて、できたら手を使ってものを作ったり、生産者がどのように作ったかわかるものを買うようにしたりすることが大事なのではないかと提案してくださいました。
ペマさんからブータンのお話を聞いて感じたことをきっかけに、自分の身の回りのもの―例えば、着るものや食べるもの―から少しずつ変えいく、とてもいい機会になったのではないかと思います。
始まったばかりの「チモン・モアン」プロジェクトに、今後も注目です!ペマさん、本当にありがとうございました。
2014年05月26日
ぺマさん来日ツアーレポそのA:『ブータンチモン村で甦るしあわせのコットン〜衣から考えるGNHとローカリゼーション』報告
posted by GNH at 15:36| Comment(0)
| ぺマさん来日2014
2014年05月23日
ゲロンおじさんのお話:ブータン農村今昔
●ブータンGNHツアー2013・秋の報告集より●
NHKBSでも取材された世界一棚田が美しい村・イビサ村。今回もホームステイを通じて「ブータンのふつうの暮らし」を体験します。
>>現在募集中のツアー詳細はこちら!
イビザ村ゲロンおじさんインタビュー
「いやあ、昔は楽しかったよぉ〜。今、60 歳くらい。そうだね、昔と今の暮らしは全然違うよ。」と語るのはプナカ県近郊の農村イビサ村に暮らすゲロンさん。辻信一さんの親友でもあり、仏教に厚く、慎み深いブータン人というイメージの中、自由奔放に生きてきたゲロンさんの半生をインタビューしました。
(通訳:英語はペマ・ギャルポさん、日本語は辻信一さん)
============
村には遊びがいっぱい
15 歳の時から働いていたよ。朝早く起きて、森で働いていたんだ(製材業)。お金が銀貨から変わる度に、歓迎の歌を歌わされたもんだよ。その頃の食事はね、朝はおかゆ、昼は小麦をバターで練ったもの、夜にやっと米が食べられたんだ。
昔は遊んでばかりいたなあ。ダーツやアーチェリー、石投げをよくやった。女性が米を収穫して干していたよ。男はね、働かないで、隠れて遊んでいたんだ(笑)。ゲームで賭けをしたりね。負けたら、山や川で何か取ってくるか、ニワトリをどこかからいただいてくる。
その頃は、殺生が悪いことだなんてなかった。ベジタリアンなんてのもなかったんだよ。
夜這いが許される文化
昔はね、どこの家も自由に出入りができた。自分の家と他人の家が一緒。恋愛も自由だった。今は何か理由がないと、他の人の家に行かないでしょ。もし、知らない人が家にいたら、警察沙汰だよね(笑)。
昔は一生を添い遂げる女性に出会うのに、3 年かかったもんだよ。でも今はどうだい? 一晩過ごして、結婚をして、3,4ヶ月ですぐに離婚してしまうという具合だ。
昔は、夜這いがあったんだよ。窓が開いていればいいけどさ、もし、窓が開いていなければ大変だ。まず、木を壁に打ち込み足場を作り、そして登っていったもんだよ(笑)。
大変なのは娘の親だ。娘を守るのは大変だよ。夜這いの結果、娘が妊娠してしまったら、アラとバター2kg と雄鶏一羽で十分だったのさ。両親と一緒にそれを持って行って謝罪して、料理したものを両家みんなで楽しんで、それで済んでしまった。
今とは別世界だなぁ。今じゃ大変なことになってしまうでしょう?
教育、医療・・村での暮らし
今はとにかく便利になったね。ティンプーに行くのも楽。昔は、峠で1泊しなければならなかったんだよ。ティンプーに行って物を売って、3ヌルタムくらい稼いで帰ってくるんだ。米、豆、ナス、唐辛子、オレンジ、マンゴー、グアバなどが換金作物だった。
子どもが病気になったとき、昔はシャーマンを家に呼ぶこともあった。今は病院へ行ってドクターに治療してもらうよ。
子どもは自分の家で産むしか方法がなかった。経験のある近所の女性たちが助け合ってね。それでも問題があるときは、占星術師に見てもらって、作ってもらった薬を飲むこともあったんだ。今は、自宅出産か病院出産。緊急時はドクターが家に来てくれることもあるから安心だ。
昔は教育がなかったんだよ。近隣の学校に行くよう村から1 人くらい選ばれるんだけど、親は子を隠したくらい。だから、この村の人は、学校に行ってないんだ。学校へ行った同年代の人が偉くなって出世しているので、今はちょっと後悔しているけれど。
60代を迎えたゲロンさんの心境
この年齢になると、知り合いも死ぬ人が出てくるから、私も死について心配になってくるよ。死は怖いかと問われれば、それは怖い。
50 歳を超えたころから死への思いが増えた分、仏教により関心を持つようになったよ。バターランプを灯したり、お寺での話を聞きに行ったりしています。
昔は、男が威張っていて、女にあれしろ、これしろと、いじめている時代。今は、ドマ(噛みたばこのようなもの)を持って行っては、女のご機嫌を伺っている(笑)。
NHKBSでも取材された世界一棚田が美しい村・イビサ村。今回もホームステイを通じて「ブータンのふつうの暮らし」を体験します。
>>現在募集中のツアー詳細はこちら!
イビザ村ゲロンおじさんインタビュー
「いやあ、昔は楽しかったよぉ〜。今、60 歳くらい。そうだね、昔と今の暮らしは全然違うよ。」と語るのはプナカ県近郊の農村イビサ村に暮らすゲロンさん。辻信一さんの親友でもあり、仏教に厚く、慎み深いブータン人というイメージの中、自由奔放に生きてきたゲロンさんの半生をインタビューしました。
(通訳:英語はペマ・ギャルポさん、日本語は辻信一さん)
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村には遊びがいっぱい
15 歳の時から働いていたよ。朝早く起きて、森で働いていたんだ(製材業)。お金が銀貨から変わる度に、歓迎の歌を歌わされたもんだよ。その頃の食事はね、朝はおかゆ、昼は小麦をバターで練ったもの、夜にやっと米が食べられたんだ。
昔は遊んでばかりいたなあ。ダーツやアーチェリー、石投げをよくやった。女性が米を収穫して干していたよ。男はね、働かないで、隠れて遊んでいたんだ(笑)。ゲームで賭けをしたりね。負けたら、山や川で何か取ってくるか、ニワトリをどこかからいただいてくる。
その頃は、殺生が悪いことだなんてなかった。ベジタリアンなんてのもなかったんだよ。
夜這いが許される文化
昔はね、どこの家も自由に出入りができた。自分の家と他人の家が一緒。恋愛も自由だった。今は何か理由がないと、他の人の家に行かないでしょ。もし、知らない人が家にいたら、警察沙汰だよね(笑)。
昔は一生を添い遂げる女性に出会うのに、3 年かかったもんだよ。でも今はどうだい? 一晩過ごして、結婚をして、3,4ヶ月ですぐに離婚してしまうという具合だ。
昔は、夜這いがあったんだよ。窓が開いていればいいけどさ、もし、窓が開いていなければ大変だ。まず、木を壁に打ち込み足場を作り、そして登っていったもんだよ(笑)。
大変なのは娘の親だ。娘を守るのは大変だよ。夜這いの結果、娘が妊娠してしまったら、アラとバター2kg と雄鶏一羽で十分だったのさ。両親と一緒にそれを持って行って謝罪して、料理したものを両家みんなで楽しんで、それで済んでしまった。
今とは別世界だなぁ。今じゃ大変なことになってしまうでしょう?
教育、医療・・村での暮らし
今はとにかく便利になったね。ティンプーに行くのも楽。昔は、峠で1泊しなければならなかったんだよ。ティンプーに行って物を売って、3ヌルタムくらい稼いで帰ってくるんだ。米、豆、ナス、唐辛子、オレンジ、マンゴー、グアバなどが換金作物だった。
子どもが病気になったとき、昔はシャーマンを家に呼ぶこともあった。今は病院へ行ってドクターに治療してもらうよ。
子どもは自分の家で産むしか方法がなかった。経験のある近所の女性たちが助け合ってね。それでも問題があるときは、占星術師に見てもらって、作ってもらった薬を飲むこともあったんだ。今は、自宅出産か病院出産。緊急時はドクターが家に来てくれることもあるから安心だ。
昔は教育がなかったんだよ。近隣の学校に行くよう村から1 人くらい選ばれるんだけど、親は子を隠したくらい。だから、この村の人は、学校に行ってないんだ。学校へ行った同年代の人が偉くなって出世しているので、今はちょっと後悔しているけれど。
60代を迎えたゲロンさんの心境
この年齢になると、知り合いも死ぬ人が出てくるから、私も死について心配になってくるよ。死は怖いかと問われれば、それは怖い。
50 歳を超えたころから死への思いが増えた分、仏教により関心を持つようになったよ。バターランプを灯したり、お寺での話を聞きに行ったりしています。
昔は、男が威張っていて、女にあれしろ、これしろと、いじめている時代。今は、ドマ(噛みたばこのようなもの)を持って行っては、女のご機嫌を伺っている(笑)。
posted by GNH at 14:37| Comment(0)
| 西ブータン
2014年05月22日
ぺマさん来日ツアーレポその@:大阪・ブータンと泉大津をつなぐわたのお話会報告
3月に、ナマケモノの仲間でGNHツアーのカウンターパートナーでもある、ブータンのペマ・ギャルポさんが2週間弱来日しました。
熊本でのフェアトレード国際会議をメインに、千葉、神奈川、東京、大阪、京都、宮崎、熊本、そして韓国を訪問。
多くの市民イベントに参加し、日本の各地で交流を深めました。
http://www.sloth.gr.jp/movements/hsc_tour2014/
遅くなりましたが、各地のイベント主催者や参加者の皆さんから
素敵なレポートをいただきました。
第一弾は、大阪泉大津のイベントの報告です♪
主催者で当日コーディネーターをしてくださった釜野真理子さんからのレポートです。
(クリックすると拡大されます)
さらに釜野さんは、ブータンより帰国後すぐに地元泉大津で綿花栽培グループを立ち上げ、この五月より和棉栽培を再開することになりました。
(以下、釜野さんより)
「南大阪では江戸時代には大々的に綿花が栽培されておりました。その和棉の栽培地であった泉州、その中の泉大津市にあたる地域では真田紐の生産が盛んでした。真田紐は組紐などの装飾品とは異なり、織機で織られ、主にものとものとを結んだり、縛ったりする丈夫さが求められる庶民に身近な紐です。その技術が礎となり、今日の繊維産業発展につながって参りました。しかしながら、バブル崩壊ののち地場産業はかつての十分の一の規模に縮小されております。安価な中国産アクリル毛布、アクリルセーターの台頭が大きな打撃でした。『大阪』と聞くと大都市と思われがちですが、いろいろな面を併せ持っています。そういう場所や人とも想いを持ってつながること、私は大切だなあと思っています。
一方遠く離れたブータンで毎日手織の伝統衣装キラに袖を通し、仕事をしていた私は、その衣装の材料になる糸がインドから輸入されていると知った時、とてもショックでした。それはブータンに赴任して間もない頃でした。
しかも、輸入された糸は遺伝子組み換えのコットンからつくられ化学染料で染められた糸でした。
とても素晴らしい織物の伝統が今も人々の生活に息づくブータン。
簡単に手に入るようになった輸入の糸。外国人の私。
ジレンマを感じました。
2011年、中部ブータンのトンサ県で偶然再会した辻先生にチモン村のコットン栽培の復活のお話を伺ったとき、とてもワクワクしたのを今も覚えています。
同時に私の地元にもそのワクワクは必要なのではないかと思ったのです。
そのワクワクを地元の仲間とも共有したい。こどもたちやおとなたちとも。
そこで、帰国した私は、すぐに地元の仲間に綿花栽培グループをつくりたいと持ちかけ、同じようにその提案にワクワクしてくれた友人たちと
『綿糸(わたし)たちのプロジェクト-LOCOTTON PROJECT-』を結成しました。
すると、自分たちが卒業した小学校の跡地である公園の管理会のボランティアの方々が、ぜひ公園で栽培してみないか?とお話をくださったのです。
なんという示し合わせというか仕合わせというか。思い出の詰まったグラウンドで棉の木を栽培出来ることになったのです。大きな規模ではありませんがその花壇がわたしたちにはちょうどいい具合で、とても愛おしい場所です。そして、この場所には幼いこどもたちが毎日のように遊びにきます。そのこどもたちにも棉の育つ姿を見てもらえると思うととても嬉しいです。
こうして、綿花栽培をきっかけにいろいろな方たちとのつながりがコットンボールが開くようにぽこぽこと出来て参りました◎
ご縁を創ってくれたブータンという国、そして辻先生をはじめみなさまに感謝いたします。」
「お蔭様で5/11に晴天の中、和棉の種まきの会を開催する事が出来ました。
種まきの当日は、参加者全員で看板制作も手作りで行ない、とても穏やかな会になりました。添付写真はそのときの様子です。
そして、5/17本日、種が発芽し空へ顔を出してくれました◎
こんなに嬉しい瞬間は久々です。いのちってすごいです。
これからも、経過をプロジェクトのブログで綴っていきます。
あたたかく見守っていただけると幸いです。」
★LOCOTTONプロジェクトブログ:http://watashitachilocottonproject.blogspot.jp/
posted by GNH at 18:10| Comment(0)
| ぺマさん来日2014