2014年11月20日

【コラム】私にとっての懐かしい未来「ブータン」

ナマケモノ倶楽部がGNHツアーと銘打って、「豊かさ」の問い直しを参加者のみなさんと一緒に考える参加型のツアーをはじめて7年。ツアー参加者は10代の学生さんから80代のシニアまで、バックグラウンドも会社をやめた方、ふだんから自然農などに携わっている方、忙しい中なんとか有給をとって参加した方、ご夫婦での記念の旅行に、卒論でGNHを深く知りたいなど様々。

一緒に一度はブータンへ・・と思っている方も多いかもしれませんが、意外とリピーターが多いのもナマクラGNHツアーの特徴です。西部に行った方は東部へ。東部を先に訪れた方は、次は西部も。。そして、同じ西部ブータンでも、ツアーで行くのと個人でペマさんに旅程をオーガナイズするのでは旅の自由度はまったく異なります!

今回は、ツアーで2回、個人で2回ブータンを訪れている中川さんからのコラムを紹介します!訪れた人の心に問いかけるブータン。私たちのDNAが覚えている「何か」を呼び覚ましてくれるかもしれません。

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私にとっての懐かしい未来「ブータン」

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中川久美子(ブータンGNHツアー2014秋参加者)

 4回目となったブータンへの旅。最初にブータンを訪れたのは2年前の秋のことです。もともとチベット仏教に興味があり、ブータンがチベット仏教を国境とする唯一の国だということを知って行ってみたいと思っていたところ、「ブータンGNHツアー」をフェイスブックで見つけました。

途上国と呼ばれる国に行くのは、ブータンが初めて。ドゥルックエアーに乗り込んだときのドキドキ感、初めて飛行機から見たヒマラヤの山々の頂、不思議な伝統様式の建物が立ち並ぶパロ国際空港に降り立ったときは期待と同時に不安でいっぱいでもありました。でも、山に囲まれ、豊かな水と田園風景が広がっているブータンは、私のまちにもどこか似ていて、なんだか懐かしいような安心する風景でもあり、帰りの空港ではまた必ず戻ってくるだろうと思っている自分がいました。

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いたるところでルンタやダルシンが風にはためき、チベット仏教一色に彩られた街並み、その信仰を基盤とした社会、笑みを浮かべ優しくおおらかでたくましいブータンの人たち。普段、とても忙しく、ギスギスした人間関係の中でストレスまみれになりながら暮らしていた私にとって、価値観が180度変わってしまうような旅だったことを覚えています。

その後、ブータンの本を読んだり、何回か訪れる中で初めて訪れたときとはまた違った顔を見たり、そして今回の旅でさらに深くブータンを知ることができたような気がしています。

 私にとって、ブータンは既に第二の故郷のような存在であり、空港に着くと「あぁ、また帰ってきたなぁ」といった感覚の方が強くなりました。何度も訪れているということもありますが、それ以外に全く違う国であるのに共通点が多いということもあります。

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国土のほとんどが2,000m以上の高地にありながら熱帯であるため日本のように四季があり、シャクナゲやムクゲなど日本で見られる花も咲きます。日本人が農業指導をしたこともあって、大量のトウガラシを除けば市場には日本と同じような野菜が並び、主食はご飯、米や麦などを使った焼酎のような「アラ」と呼ばれるお酒と、食生活も似ています。

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美しい棚田、ソバ畑、ヒマラヤの山々から流れてくる豊かな川、木造の家屋、農家で飼われている牛やニワトリなど、日本の原風景を思わせます。民族衣装の「ゴ」や「キラ」も日本の着物にどこか似ていて、顔立ちも似ているので日本人が着てもあまり違和感がありません(タクツァンにキラで行くと、ブータン人と間違われることも(笑))。他にも例を挙げればきりがないくらいです。

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ブータンでは自然がとても大事にされていると同時に、神聖なものだとされていますが、仏教と土着神が融合した独自の仏教を育んできたというところも共通していて、似ている自然環境や信仰に育まれた生活文化や人に共通点が多くなるのも不思議ではないのかもしれません。

私自身、山岳信仰の山であった山の麓で暮らしていると山に手を合わせることもあり、自然の中にいると心地よく心穏やかになれるし、自然に生かされている、自分も自然の一部であると日々感じていて、ブータンは遠い異国でありながら、なぜか懐かしく、ほっとする国です。ちなみに、日本人のルーツはいくつかあり、その一つにブータン方面からのルートもあったそうです。私、遠い前世はブータン人だったのかな!?(笑)

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 そんな共通点のたくさんある日本とブータンですが、ブータンには日本が失ってしまったものが残されていると感じます。チベット仏教に基づく生きとし生けるものへの祈りの心、伝統文化への誇り、人と人とのつながりという安心感、それらがもたらす揺るぎない自信。その中で、それぞれがそれぞれの幸せを感じて生きている。先進国では、物質的な豊かさの先には本当の幸せはなかったという現実が見えはじめている中で、私たちが捨ててきてしまったものの中に幸せに結びつくものもあったんだなということを痛感しています。

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<タクツァン僧院のシャクナゲ>


この国に来ると、「幸せとは何か」ということについて、本当に深く考えさせられます。きっと、そのヒントがたくさんあるんだと思うし、私自身ブータンで過ごすことで自分の心に変化が起き、どんどん自分がシンプルになっていくような気がしています。私はまた近い未来にブータンに来てるだろうなっ!

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 GNHというユニークな考え方で世界中に知られるようになったブータンですが、一概に「幸せの国」ということでもなく、日本には日本の課題や問題があるのと同じで、ブータンにはブータンの課題や問題があり、結局のところ課題や問題のない完璧な国はないということなのかなと思います。それと、先進国と呼ばれている私たちのような国が、こういった国々に及ぼしている影響も大きく、私たちがどうあるべきかとうことも考えさせられました。

GNHという今までどの国もやってこなかったような考え方で国政を進めようとしているブータンは、その意味では先進的な国であり、グローバル化が進む世界の中で、今後どのような国になっていくのか、とても興味があります。できれば、他の途上国が辿ったような西洋化・グローバル化の方向ではなく、独自の路線で懐かしい未来を世界に示し続けてくれることを願っています。そして、物質だけに偏らず、自然や文化・伝統、心とのバランスのとれた社会が、世界中に広がればと思います。
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タグ:中川久美子
posted by GNH at 23:07| Comment(0) | 西ブータン

【コラム】昭和20年代の暮らしを想起させたドチュカ村でのホームステイ


ブータンGNHツアーでは、毎回ホームステイを組み込むようにしています。それは、本やテレビとは異なり、ふつうのブータンの人の暮らしを、リアルに体験させていただくことができる貴重な機会だからです。言葉はゾンカ語(東部だとシャショーップ語)と英語が入り交り、ボディーランゲージの世界。滞在させていただいた家族の数だけそれぞれのエピソードが生まれます。今回は、中川久美子さんからの報告です!


ドチュカ村でのホームステイ

中川久美子(2014ブータンGNHツアー秋参加者)

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 ツアーで楽しみにしていたのが、農家でのホームステイでした。今回で2回目になりますが、前回は不安ばかりが先立っていたこともあり、あまり楽しめませんでした。でも、今回はトイレ以外は特に不安はなく(前回は青空トイレだったので、衝撃的でした(笑))、有意義な時間を過ごすことができました。

 ドチュカ村は前回ステイしたイェベサ村とは違い、車道から近いところに村がありました。村に着くと、村人がみんなで出迎えてくれ、それぞれホストファミリーと共に、舗装されていない田んぼ道を歩いて村の中へと向かいました。私は有機トウガラシ農家の家に、他のメンバー2人と一緒にステイさせてもらうことになりました。家は伝統的なブータンの木造の家で、1階が家畜や家畜のエサなどを置いておくところ、2階が住居になっています。窓はありますが、ガラスのサッシなどでなく、木の扉があるだけです。

くつを脱いで家に入るのは、日本と同じです。炊事場は、薪で炊くかまども外にありましたが、家の中はガスコンロでした。トイレは共同トイレで外にあり、手動の水洗トイレといった感じ(水瓶の水をバケツですくって流すタイプ)で電気もあり、今回は青空トイレではなく少しホッとしたり(笑)。お風呂はおそらくなく(1泊だけで入浴していないのでわかりません。)、他のメンバーが共同の水道で髪を洗っている女性を見たと言っていたので、水道などで洗うのかなといった感じでした。

子どもたちが少し英語を話せる(学校での授業が英語であるため)以外は、現地の言葉であるゾンカ語での会話になるのではっきりとはわからなかったのですが、おそらくお父さん、お母さん、中学生ぐらいの男の子、小学生2年生の女の子、5歳ぐらいの男の子といった家族構成でした。お客さんは、日本では座敷へ案内するのと同じで、家の中でも手入れの行き届いている仏間でということのようで、家に着くと私たちも家の仏間に案内され、絞りたてのミルクにビスケットと米菓子、フルーツでもてなしていただきました。

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食事はもちろんトウガラシをふんだんに使った料理で、朝も夜も4〜5種類ぐらいのおかずが並び、ご飯といただきました。机などはなく、直に床にお皿を置き、床に座って食べます。私は、絞りたてのミルクと、朝食の採れたて卵のスクランブルエッグのようなものがとても美味しかったことを覚えています。朝からかなりのボリュームで、ブータンの方はご飯をたくさん食べます。

 ホームステイで感じたことは、きっと昭和20〜30年代ぐらいの日本もこんな感じだったんだろうなぁーということです。ここ数年、仕事などで昔の暮らしについて調べたり、年配の方にお話を伺ったりする機会が多いので、その話とこの村での暮らしが、とてもぴったりと重なるような感じがしました。今までは耳で聞いていた話を、実際に自分で体感しているような感覚です。(農村でも、みんな携帯電話を持っているというところは、少し違いますが。)

私たちは日本の便利でとても衛生的な暮らしに慣れているので、やはり抵抗がある部分もありますが、ここでの暮らしも慣れてしまえば普通になるのかなとも思いました。実際、こういったところを旅するにつれ、だんだんと抵抗がなくなってきて、逆に心地よく感じる部分もあります。ブータンを旅していると、日本で暮らしているときのような何か余裕のない切羽詰まった感じや、こうしなければというのがなく、心が穏やかになるせいでしょうか。

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 さて、ホームステイで一番楽しかったことといえば、子どもたちとたくさん遊んだことです。ステイ先の子どもだけでなく、近所からも子どもたちが集まってきて、折り紙大会、切り絵大会になりました。折り紙を折って見せると、もっと折ってという子、折り方を教えてという子、また切り絵を自分で始める子などなど、お互いの未熟な英語で全ては通じないけれども、とても人懐っこく素直な子どもたちばかりでした。それもやはりこの国の、そして村の風土が育んでいるのかなと思いました。楽しい遊びには時間を忘れて夢中になる。そういうところは日本の子どもたちと何も変わらないし、やはり日本の子どもたちも根っ子の部分はとても素直で、子どもは世界共通だなぁーとも思いました。

子どもたちに、将来は何になりたいかという質問をしたところ、子どもたちはパイロット、先生、歌手などという答えが返ってきました。農業以外の選択肢ができ、ただそういった仕事に就けるのは現状ではわずかな人たちだと思うので、この先、子どもたちの人生がどうなっていくのか、少し心配にもなりました。同時に、農業も大切にしてくれるといいなとも思いました。

何はともあれ、こうやって子どもたちを関わっている時間は私にとってはとても楽しく、これこそが自分の人生をかけて取り組むことなんじゃないかと強く思いました。そして、このホームステイを通して、「本当に豊かな暮らしとは何か」ということを改めて考えさせられました。
posted by GNH at 23:03| Comment(0) | 西ブータン

2014年11月13日

【コラム】布文化からかいま見たブータン

みなさん、こんにちは。2014年9月のブータンGNHツアーでは、パロ、ティンプー、プナカと訪れました。参加者のみなさんには、全体の感想とともに、各自が関心をもったテーマに沿ってコラムを書いていただきたいという贅沢なリクエストを事務局からさせていただき、とても素敵なコラムが届いています。

今日は、ブータンの織物文化にまなざしを寄せたコラムをお届けします。

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布文化からかいま見たブータン   荒木舞子

これまで何とはなしに興味を持っていたブータンを、2014年秋・ナマケモノ倶楽部のGNHツアーで訪ねることができた。そして初めてのツアー旅行は、私の心配をよそに、共通の興味を持ちつつも違った視点を与えあう豊かなものになった。

ブータンを訪れた私の目を引いたのは、「布」の美しさと豊富さ、多様さ、そして風景全体におけるその存在感。元々「布」や織物の「模様」に興味があったものの、ブータンにおける「布」「織物」の存在感は、日本におけるそれとは比較にならない。この印象は、日本に帰国をして、旅のことを思い出しながら手に入れた端切れなどを見ていた時に強くなってきた。布を巡って考えてみたことを書いてみたい。

ブータンにとっては、織物は大切な伝統文化・工芸の一つ。また産業の少ないブータンにとっては大切な産業の一つでもある。また国民は、法律で公共の場では伝統衣装を着用するよう定められている。残念ながら今回の旅行中、実際に織っているところを目にする機会はなかったが、数が減っているとはいえ、家庭の壁に織機を据え付けて織っている家庭も多くあるようで、今後機会があったらぜひ見たいと思っているところである。

旅の途中に訪れた伝統衣装店では、おそらく機械織りと思われる商品を並べた奥に、衣装以外に、手織りやアンティークの布を売っている一画があった。こちらはより、特徴的な模様だったように記憶している。聞いたところ、生地には、ウールと、木綿、絹がほとんどだそうである。

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その他に、ホテルのソファなどではざっくりとした織り目で、毛足が長く、柄も大きい布も見られた。写真はパロで宿泊したHotel Olathanだが、色も模様も大変手がかかっていることに驚きながら思わず撮ったものである。帰って少し調べてみたところ、これはおそらくヤクの毛で織ったヤタという布のようで、ゴやキラといった衣装ではなく丈夫なので日用品に用いられるもののようだ。確かに非常に丈夫そうであった。

ところで、「絹」を取る方法にはブータンの特徴が出ている。日本の養蚕では、蚕が繭を作ったところで繭を煮て生糸を取り出す。しかし信仰心から殺生を良しとしないブータンでは、繭を作った蚕からそのまま糸を取り出す。煮て取りだせば、通常一つの繭からは(蚕がはき続けた)長い一本の糸が取れるが、若干強引に繭から糸を取るので、切れてしまって一本にはならない。この切れ切れの糸を紡いで長い糸にするので、つるりとした糸ではなくこぶのある糸になるのである。

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こうした生糸で織った布は野生絹と呼ばれる少し凹凸のある絹の布になり、煮られることのなかった蚕は蛾になって飛び立つ。まさか蚕を殺さずに糸を取りだす方法があるとは、思いもしなかったのでその話はとても印象に残っている。これは人々の仏教への信仰心と織物という文化が、意図せずに独自の糸に生地に結晶しているのである。

こうした写真などを眺めながら、印象に残っている布の「存在感」について考えてみた。ブータンでは建物を伝統的な様式にのっとって建てる必要があるから、もともとの風景と、(コンクリート造りとは言え)伝統的な様式の建物、そうした風景の中に伝統衣装は良くなじんでいる。こうした調和の中で多くの人が伝統衣装を身につけていて、美しい模様、色彩のコントラストが引き立ち印象深いものにしている。さらに伝統衣装はある程度形が決まっているために、細かい柄や模様、色合い、組み合わせに目が行きやすいということもあるのだろうと思う。

また外に目を転ずると、華美でない調和のある生活や、素朴な風景の中にあって、衣装が際立っていたような気もする。先ほどの「風景になじんでいる」、というのと矛盾のような気が自分でもするが、首都ティンプーといえど街並み、家の色合いは比較的素朴であり、衣装や布の美しさや多様さが目に飛び込んでくる。記憶にある風景における「色」の印象の多くは、伝統衣装や布のそれであったような気がする。

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とはいえ、必ずしも人々が自ら伝統衣装を身につけているわけではない。現地ガイドの方たちも仕事が終わると洋服に着替えていたし、街中ではハーフキラだけを巻いて上はシャツを着ている女性も多かった。ハーフキラも動きやすいジャージー製だったり、折り返しがない更に簡素な形の中にスパッツを着ていたりする。

こうした状況を見ると法律がなければ民族衣装の着用は速度の差はあれど廃れていくだろう。他の国からブータンに行くことは、調和のとれた景色、信仰に基づいた生活や文化に触れ、一方で経済発展や都市化を見ることで、開発や経済発展により得るものと失うものを目の当たりにし、自分の国について振り返るきっかけを与えるように思う。まとまりはないが、衣装や布を通してそんなことを考えた。

行く前はブータンにおいて「布」や「織物」が重要な位置づけであるとは知らず、旅程に「伝統衣装店を訪ねる」とあるのも(どこのツアーにもあるな・・・)位にしか思っていなかった。が一方で、事前打ち合わせの時に事務局の方が衣装を持ってきてくれて、「ものすごく素敵!」と、がぜんブータンへの期待が増したのも確かである。

民族衣装も購入する予定は全くなかったがつい購入してしまったし、他にも、布の端切れやら、壁かけやら、結局多くの布製品を連れて帰ってきた。背景にある文化を含めて、布を通して始まり、布を通して終わった旅であった。

posted by GNH at 23:24| Comment(315) | 西ブータン