2014年10月23日

【コラム】生活に根付いたブータン人の信仰心

みなさん、こんにちは。実りの秋を満喫していらっしゃいますか?
9月に西部ブータンを訪れたメンバーから、旅の報告コラムが届きはじめています。
このGNHブログでも順に紹介していきたいと思います!
>>ブータンGNHツアー2014・秋の概要についてはこちら。

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生活に根付いたブータン人の信仰心

田中けいこ

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何本もまとまって立てられた白い旗ダルシンが街中にはためいている。日本の神社に立つ幟のようだ。山肌を縦横無尽にのびるルンタ。こちらは、青、黄、緑、白、赤、とカラフルな小さな布が無数に連なる。青は水、黄は太陽、緑は大地、白は風、赤は火を象徴している。ルンタは風が吹くところ、そして水が流れているところに架ける。風や水の流れに乗って、ブータンの隅々にまで祈りが届くと信じられている。

日本にも、水の神様、森の神様、火の神様など自然を崇めるアニミズムがある。ブータンと日本は似ていると感じた点だ。日本にいると、残念ながら日々の生活ではあまり水の神様、森の神様、火の神様などと口にしたり祀ったりしなくなっていることに、気づかされる。

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もう一つ街中でも山中でもよく見かけるのがマニ車だ。お寺に行けば、建物の壁面に埋め込まれたマニ車を回しながら周回している人たちがいる。山の中では、水の流れを利用してマニ車が回っている。マニ車を回すことで経文を読んだことになり、功徳が積めるのだ。

ダルシンについては、ブータン滞在中に聞きそびれてしまったので、帰国後少し調べてみた。亡くなった方が成仏できるようにと108本のダルシンを立てていたが、沢山の樹を切り倒す必要があるので、現在では一人に対し27本のダルシンを立てるのだそうだ。ダルシンも街中にも、山の中腹にも良く見かける。日本では、法事、お盆、春分、秋分の日だけお墓参りに行くけれど、ブータンでは亡くなった方を偲ぶことは日常なのだろう。

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死者を大切にする慣習は、食事時にも見られる。レストランでは、自分の前に大皿、その左に小皿(日本だとレストランでパンをのせるくらいのサイズ)が並んでいる。食事はビュッフェスタイルだ。大皿に好きなものを取り、食後のデザートはレストランのスタッフが持ってきてくれるためその小皿を使うことはなく、何のためのお皿なのか不思議だった。

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最終日、パロの町を散策した日に、謎が解けた。初めてドライバーのヤンクーと一緒に食事をした。彼が、大皿に料理を取り、その中から、一口分のご飯とエマダチ(唐辛子のチーズ煮込み)をその小皿に取り分けた。それは、亡くなった方へのお供えだという。死者はいつ、どこに現れて、いつお腹が空いているか現世に生きる私たちには分からないので、彼らの分は別皿に取り分けるのだそうだ。そして、死者は実際に食べる訳ではなく香りで空腹を満たすので、少量で良いとのこと。何となく、かわいらしいと思った。ブータンでは、今肉体を持っている私たちと死者が目には見えないけれど共存している。

ブータン滞在中は、日々自分が感謝することや祈りを忘れているな、と何度も感じた。自分が存在すること、食べるのに困らないこと、沢山のものが周りにに溢れていること、全てを無意識に受け取っていた。それが当たり前だ、という感覚すらなかった、と思う。

ブータンに行く前から、感謝を忘れていることをごくたまに感じていた。だからか、仏像が欲しいなと思っていた。そしてブータンで小さな仏像に出逢い、つれて帰ってきた。毎日良く目にするところに、その仏像は座っている。朝、「おはようございます。」と言い、食事の時には、仏様に、神様に、農家さんに、作物をもたらしてくれた自然に感謝している。ブータンでの滞在は、私は自然の一部なんだと思い出させてくれた。
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posted by GNH at 22:31| Comment(2) | 西ブータン
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