2011年10月27日

マインドフルと精神性〜スラックさんと瞑想セミナーでの学び

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タイGNHツアー中、何度となく耳にしたのは、深く明瞭な意識とでも訳される「マインドフル」という言葉でした。瞑想セミナーやスラックさんのお話の中で出てきたものですが、スローを考える時、何とつながり直すのかということや、スラックさんが現代社会に欠けているものとして活動の中で強調している精神性の大切さを理解するためのキーワードではないかと思います。

スラックさんのご自宅を訪問した際、成功の危険性や傲慢さについて話してくださいました。今年が「スモール・イズ・ビューティフル」で知られるE.F.シューマッハーの生誕100周年ということで、次のようなエピーソードを紹介してくださいました。

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独立後のビルマ(ミャンマー)で経済顧問となったシューマッハーが、独立という成功の後に迫り来る世界経済、グローバリズムの脅威について指摘した際、ビルマの指導者たちに「ここは仏教国である」と一蹴されたそうです。ビルマの指導者たちには「何事も仏教の英知で乗り越えられる」という傲慢さがあり、目前の問題を直視しなかったのだ、とスラックさん。

政治的に植民地化されなかったタイでも、同じような「仏教国の傲慢さ」から盲目的に西洋化の道を進み、精神的には植民地化されてしまったと言い切ります。また、GNHで注目される「幸せの国」ブータンについても、タイなどの事例から学ばなければ、同じような過ちを犯すかもしれないと、厳しい目を向けているようでした。

成功と失敗は表裏一体だということも、「成功」に目を奪われれば慢心や誤った安心感につながることも、それ自体はスラックさんの指摘を待つまでもなく「誰もが知っていること」のように思えます。それよりも一連の会話の中で考えさせられたのは、私たちが「知っている」と思っていることが、どれだけ日々の生活に活かされているか、または活かされていないか、ということでした。

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スラックさんのお話は、深く明瞭にとらえる意識を持たなければ、私たちの経験や知識と暮らしがどんどんズレていってしまい、社会的にも的確に活用されることはない、ということのように思えます。3.11の後でさえ、明確に脱原発へ向かえずにいる現状も、成功と失敗を切り離し、科学技術のもたらす恩恵ばかりを求め、同時にもたらされる危険を軽んじてきたことの表れかもしれません。

スラックさんは、傲慢さから質素さ、慎み深さ、慈悲深さへの意識の変革が必要だと仰いました。それをどこから始めるのかということにも「深く明瞭な意識(マインドフル)」が関わってきます。傲慢さは、誰もが持っているもので、それを否定したり排除したりせず、あるがままを受け止めることからやがて転換されていくものだということでしたが、これはスラックさんとお会いする前日に参加した瞑想セミナーでの、どのように「深く明瞭な意識」を育てるかというテーマと重なるものでした。

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この瞑想セミナーはSNFの関連施設であり、疲弊しがちな社会運動家たちの休息の場、若者たちの学びの場として設立された、今回の宿泊先でもあったウォンサニット・アシュラムで行われました。川で周囲から守られ、テレビや冷蔵庫などもなく、土塀作りの天然素材家屋の点在するアシュラムは、夜更けに慌ただしくたどり着いた私たちツアー参加者にとっても素晴らしい休息と学びの場でした。

瞑想セミナーは一日かけて行われ、座り、立ち、寝転び、歩き、食べ、書き、踊り、多種多様な様式で瞑想に取り組みました。活動中は、初心者らしく眠くなったり雑念に苛まれたりしましたが、一日の流れの中でひとつひとつの活動が、私たちの身体から始まって、直感的に感じる印象、そこから喚起される感情、過去へのこだわりや未来への不安など私たちの心を捉えて離さない様々な心の物語へと順に意識を向けていくようデザインされていました。こうした心の有り様をあるがままに受け止めることが、「しかたがない」というあきらめではなく、「深く明瞭な意識」への第一歩となるということでした。

もちろん、一日の活動で「深く明瞭な意識」というものを感じることができたわけでも、それを理解できたわけでもありませんし、瞑想という行為やスラックさんの強調する精神性の重要性に思いが及んだのも後になってからのことでした。

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それでも、身体という器から精神世界へ意識を向け、その有り様と向かい合う修練を続けた先で、この世界の中の自分、あるいは人間というものの立ち位置について、違った理解にたどり着くかもしれない、ということは、頭で理解できないことではありません。

精神性を軽んじ、物質社会で暮らす私たちに必要なことは、こうした自分とのつながり直しであり、私たちの中で乖離してしまったものをつなぎ直してくれるのも、こうした精神性の開発(かいほつ)なのかもしれません。社会の変革もそこから始まるのかもしれません。

タイGNHツアー・2011参加者・宇野真介


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posted by GNH at 19:13| Comment(0) | GNHツアー
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