2013年06月13日

ホームステイの体験記【2013春GNHツアー報告集より】

今回はブータンの北部にあるガサの小さな村に二泊しました。まず、辿りつくまでの道のりがスリリングで、崖っぷちを延々とバスで進んでいきました。途中で落石があったり、水が溜まって川のようになっていたり。道路の幅は常にギリギリで、窓の外は恐ろしくて覗けないという状況でした。そんな中無事ガサに到着し、二、三人ずつに分かれて村のお宅にお邪魔することになりました。

私たちがお世話になったのは、ガップ・ケンチョさんという一家でした。 メンバー発表時には、なぜか「ケンチョ」さんがたくさんおり、日本の村のようで面白かったです。家族構成はおじいちゃん、お父さん、お母さん、そしてとってもかわいい小学生の姉妹。早速のおもてなしとして、ザウというお米を炒ったあられのようなものの上にビスケットと、甘いミルクティー、これはナジャというそうです、を頂きました。ナジャは、さぞ伝統的でオーガニックな飲み物なんだろうと勝手に思っていたのですが、後で作るところを見たら輸入品の白砂糖をものすごい量で入れていて、そういうところは先進的なのかとちょっぴり拍子抜けでした。ナジャの次はスジャ。スジャはバター茶と呼ばれるもので、お茶に塩とバターを入れて熱したもののようです。ブータンでは伝統的に飲まれているそうでお父さんは Buddhist's coffe と仰っていました。本当かどうかは、検索して調べましたが分かりませんでした。スジャは、お茶かバターに結構クセがあり不思議な味で、皆の感想では苦手という意見が多かったです。日本人にはあまり向いていない様子。更にはおじいちゃんが「ドマ」を試食?させてくれました。「ドマ」は嗜好品の一種で、葉っぱとペースト状のものを混ぜてすり潰したものです。すり潰さないものもあるということでした。でもこれが実にまずかったです。苦みとえぐみが混ざった気持ち悪い味で、一度だけで十分です。

またガップ家は、お茶を飲んでいるとひっきりなしに来客がありとてもにぎやかでした。あまりにも自然に話に混ざってくるため、最初は家族だと思っていたら街に住んでいる「いとこ」だったり、近所のお兄ちゃんだったりして、しばらく喋ると帰ります。誰かが帰るとまた次のお客さんが来て、お喋りをして行く。その場にいた私達にも色々な質問を投げかけます。質問の中で印象に残ったのが「政府の役人と学校の先生と、どちらが収入が上なのか?」というような質問でした。英語の実力が足りずにうまく答えることができなかったのですが、ブータンでは教育がとても重要視されており、また大切にされているという印象を受けました。もちろんもっとフランクな会話もたくさんあり、ある人は年齢をこれでもかとしつこく聞かれ続けてしまい、受け流すのに苦労していました。日本では女性に歳を聞くのは失礼という慣習がありますが、ブータンでは気にしないのでしょうか。

お茶から間もなく夕食です。人間の他にハエの大群も一緒でしたが、あまりの大群ぶりに直ぐ慣れました。やさしいお母さんは、私達向けにスプーンを用意してくれており、辛さも加減してくれていました。味もやさしく、素朴でカリフラワー等の野菜のおいしさがよく分かりました。ちなみに私はお米も気に入りました。赤米で、エマ・ダツィとの相性は抜群。他にもカレーのようなメニューによく合いそうです。しかし、お肉はちょっと食べづらかったです。ブータンではフレッシュなお肉を全く見かけず、干し肉を使うようなのですが、煮込んでも結構固くなかなか噛み切れなかったのです。更にお母さんは気を遣ってくれたのか、盛んに「おかわり」を勧めます。とは言っても最初から大盛りだし、お茶もお菓子も大量に支給されたしで、そんなにおかわりもできずすぐにお腹一杯です。ところがそれを遠慮していると解釈され、なんと次の食事からセルフサービスではなく、お母さんが満面の笑みでたっぷりとよそってくれる形に変更されてしまいました。

夕食の後は、おじいちゃんのお話を聞きお祈りの仕方を教えてもらいました。「オンマニパミフォン」と唱えながら、数珠の珠に指をかけて、珠を一つずつずらして数珠を回転させ、お祈りを繰り返します。ブータンの数珠は日本のものとは結構異なっており、シルバーのモチーフが付いているなどより装飾性が強いデザインになっていました。おじいちゃんはこの数珠を常に持ち歩いていましたが、若い人にそういった習慣は無いみたいでした。その話をしている間に携帯電話が鳴ったのですが、持ち主がおじいちゃんで、ふところからおもむろに携帯を取り出し、見事に使いこなしていました。他の家族も一台ずつ携帯電話を持っており、普及率は日本とさほど変わらない状況でした。老若男女関係なく携帯を持っていること、電波が完璧に入ること、更には私のガラケーも常に普通に使えることがとても衝撃的でした。

その後は、割と早く就寝することになりました。大きな部屋にマットレスを用意してくれたため、その上に寝袋を広げて寝ることにしました。到着する前は電気が通っていないことも覚悟していましたが、終日電気は来ており子供達はずっとテレビを見ていました。テレビの傍らにはノートパソコンも置いてあり、想定よりも随分と整った環境でした。トイレにも電気がついていたため、懐中電灯の出番もなく平和な夜でした。
翌朝起きると、おじいちゃんの大きな歌声が聞こえてきました。言葉の意味は理解できませんでしたが、歌ではなくお祈りだったかも知れません。朝食の後はガサ・ツェチュに出かけたのですが、ツェチュの会場で偶然にもお母さんと娘達に会いました。お祭りには正装のキラで来ていて、見違える程でした。夕方村に戻ってくると、先に戻って私達のことを待っていてくれました。村の誰かが自家用車を持っていて、送迎をしてくれたそうです。

二日目もあっという間に過ぎ、夜は村の広場でキャンプファイヤーでした。大量のビールとお酒が用意され、ひたすら歌を歌いながら踊るパーティ。食事は各家庭から持ち寄りの、豪華バイキング形式でした。小さな村なのに、ハーブをたくさん使っている家庭があったり、それぞれの家の料理が独特で個性的でした。興が乗ってきたところで何か日本の歌を披露して欲しいということになりましたが、全く準備していなかったので焦りました。少々歌ってみたものの、アカペラでものすごく恥ずかしかったです。でも村の高校生くらいの女の子が褒めてくれて、お世辞でも少々救われました。パーティの終盤には、ガップ家のおじいちゃんも来てくれました!もう80歳ということなのですが、とても元気で一緒に踊りの輪に入ってくれました。よく見ると、おじいちゃんはこの時も数珠を持ってきていました。いい加減疲れてきたころにパーティはお開き。広場からの帰り道は真っ暗で、ここで初めて持参したヘッドライトが活躍しました。でもたぶん牛の糞は踏んでいたと思います。道端にたくさん落ちていたので。

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パーティの後、寝て起きたらもうお別れです。あっという間でした。最後は、せっかくだからとお母さんにキラの着付けをやってもらいました。なんとか覚えたかったのですが、スカートの巻き方がなかなか複雑で、結局覚えられませんでした。家では恥ずかしがり屋さんなのかあまり話してくれなかった姉妹が、バスのところまで荷物を持ってくれて見送りにきてくれ、すごく嬉しかったです。

バスに乗った後、常にモリモリとご飯を食べまくった私はお母さんにウエストを猛烈にきつく縛られたことがきっかけとなり、その後最終日までお腹を壊して寝込み、お母さんに申し訳ないことが心残りとなってしまいました。

(2013年報告集より 報告者:上川友子さん)

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