2013年07月30日

チモン村1日目夜インタビューその1


<<2012年冬の東部ツアーより>>

チモン村到着して少し休み夕飯。夕食後、ペマの父、ペマの兄、ペマ、ソナムとツアー参加者で火を囲みチモン村について伺いました。

Q.チモン村の人口はどれ位ですか?

A.ペマ兄:谷の上の人を合わせると1000人です。谷間のこの場所は700人です。

Q.何世帯ですか?
A.ペマ兄:72世帯です。一つの所帯に兄弟やその子供が10〜15人いるということもあるので、72世帯はおかしくないです。小さな家族はごくわずかです。

Q.子供は何人位いるのですか?

A.ペマ兄:平均すると9〜10人です。13、14人いるところもあります。3、4人のところもありますが少ないです。1軒に22人暮らしているところもあります。世帯といっても拡大家族です。親戚みんなで暮らしているので22人です。

辻:ペマとソナムは日本でいうといとこですが、ブータンでは兄弟とみなされます。ペマのお母さんとソナムのお母さんは姉妹です。その子供たちは兄弟とされます。人類学でいう平行いとこです。

Q.子供が少なくなっていることをどう思いますか?

A.ペマ父:いいことではありません。家族がどんどん増えて賑わっているほうがいいことだと思います。自分の子供は10人です。しかし息子(ペマ)の子供は2人です。だんだん少なくなっているのはよい傾向ではありません。子供や孫が色々なところにいて、どこに行っても自分の家族がいるということが幸せです。

Q.どうして子どもが少なくなっているのですか?

A.ペマ父:政府の政策と教育(家族計画)があるからです。

ペマ兄:政府がそういうことをするには理由があります。子供たちの教育は無料であるため人数が増えると支出が増えます。人数が増えすぎると限界があります。貧乏な人がより貧乏になったら困ります。

もう一つ土地の問題があります。土地にも限りがあります。かつては土地を所有していない人にも土地をわけてみんなが自分の土地をもった自立した農民になることができました。しかしこのまま人口が増えいくと土地を小さく区切ることになり自立できなくなってしまいます。

かつては土地に限界がなく自由でした。十分な土地があり調整して父は10人の子に分配できました。しかし今私が所有している土地を子供4人に分配すると土地は小さくなってしまいます。そうすると一人の土地が小さく自立した農民ではなくなってしまいます。

Q.昔と今どちらが幸せですか?

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A.ペマ父:昔に比べて今は幸せです。以前は教育がなく無知でした。村の外から人が来てラゲの長さ(ゴの袖の折り返し、ラゲの長さは権力をあらわす)や靴をはいていたりサンダルを履いていたりするのを見ただけで恐れるくらい人々は無知でした。今日教育を受けることによって無知でなくなりました。今こうして海外から人々が来てくれて一緒に過ごすことができて幸せです。

Q.チモン村の医療について教えてください。

A.ペマ兄:村民は何をしたらよいのかわからないので、病人がでると私たちのこの家に連れてきます。この家は村長ではありませんが昔から村の中心の家です。病人の家族はなんとかしてくれとアラ、バンチャンをお礼にして持ってきます。そして運ぶ人を集めBHU (Basic Health Unit の略。村単位の医療機関でほとんどのBHU には医師はいない)に連れて行きます。

BHUでもたいした処置はできないのでそこで対処できない場合は背負ったり、馬に背負わせたりして車が通れるところまで連れて行きます。その運ぶ人たちにもアラやバンチャンを振舞います。これは村民みんなが協力しあう良い習慣だと思います。アラやバンチャンを持って来ればみんなで助け合います。昨年私自身が経験しました。22人が協力してモンガルの病院まで運んでくれました。

Q.基本的処置(薬草を処方するなど)ができる人はいないのですか?

A.ペマ兄:頭痛、腹痛、蛇や草などの毒に対する基本的なことは村人のだいたいの人ができます。しかし処置をする前にやることは祈ることです。医療の仏様(全身が青い、一種の薬師如来)に祈って、そのあとに基本的な処置をします。

辻:チモン村にはボン教というシャーマニズム的なものがあります。今は仏教と融合してしまっていますが、もともとの在来の宗教です。仏教が広まって、ある意味地下に潜ってしまいました。表面的には仏教ですがその下にはシャーマニズム的なものがあります。日本と同じように混合してしまいました。

Q.心の病はありますか?

A.ペマ兄:うつ病はありません。何の心配もありません。悩みもないです。悩みというものを感じたことがありません。うつ病という言葉は聞いたことはありますがそれはものを考える人のためにある問題だと思います。ここの人はものを考えません。野心もありません。ああしなくてはいけないとかこうしなくてはいけないということもないので悩みもありません。

うつ病になったりストレスを持ったりする人はどういう人かというと、お金を追い求めている人です。お店をやっている人や道路工事にかかわる人などお金を持ちたい人たちが病気になるのではないですか。

チモン村の人たちはこれまで自分の持っているもので満足していました。その日その日夕食にごはんがあって次の日に朝ごはんがあって、昼ごはんがあればそれでよいではありませんか。未来はわかりません。将来ここでもそういった色々な心配が起きてくるかもしれません。少なくてもこれまではありませんでした。

外の人たちや村から外に出た人たちはこの村の開発だとか発展ということを考えます。この村にいる人たちはそういうことはどうでもよいし別にそういうことも考えていません。考える人が悩んだり心配になったりしてしまうのではないかと思います。

Q.人生振り返ってどんな時が一番幸せでしたか?

A.ペマ兄:結婚した時です。

ペマ父:私は小さいときに両親が亡くなりました。お姉さんのところでお世話になり私を育ててくれました。
そこで牛の面倒をみていました。そして牛飼いになりましたが正直一番の楽しみは釣りでした。釣りは殺生なので西部ではあまりよくない行為とされていますが、ここは東側の先住民のところなので殺生は行われていました。魚が捕れると楽しかったです。

だんだん狩りが好きになりプロの狩人になりました。イノシシ、シカ、トナカイなどをとってみんなに分け与えました。これが自分の人生のなかでもっとも幸せなことでした。狩りは弓矢と罠でします。

殺生は仏教ではよくないこととされています。今は年をとって来世の準備をしなくてはいけません。来世は殺生をどれだけしたかによって決まってしまいます。そういうことで今は狩りをやめて僧院にいって来世に行くためにするべきことをしています。そういう境地に入っています。

Q.チモン村の人々の職業はどういうものがありますか?職業という概念はあるのですか?

A.ペマ兄:純粋な意味での職業はありません。みんな同じ自給的な暮らしをしてきました。今教育を受けることによる問題が現れてきています。教育を受けた人はここではやることがありません。教育を受けた人は外へ職業を得るため出ていきます。ここにある職業は「学校の先生」「お店」「大工」などです。大工は大工だけで生きているわけではなく他のことをやりながら大工をやっています。たとえば農業をやりながら大工をします。

ペマの依頼でコットンをはじめました。父がそこの責任者です。コットン栽培には人手がいるため、来た人にはお金やお礼をして手伝ってもらいます。いつでも仕事をしたい人、やってくれる人はいくらでもいます。時には現金、時には何かのお礼を渡します。(たとえば食事など)特定の職業というものはありませんがどんな仕事でもやってくれる人、やりたい人は常にいます。

Q自給的な暮らしをしているのでお金を稼ぐ仕事をする必要はないと思います。仕事は家族単位で行われていると思いますが、家族間で物々交換などが行われることはありますか。それとも家族内で完結しているのですか?

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A.ペマ兄:この村は非常に幸せな村です。それはどういうことかというと一つ一つの家族という世帯で考えたなら自給はできていませんし自立できていません。一つの家族が自給するのではなくて村全体で自給しています。

今日もたくさんの人が集まって料理をする人や色々な用事をしてくれる人がいつもいてくれます。普通の村ではできないことです。何かがある時はみんなが集まって協力します。誰も除外されないでみんなが幸せです。チモン村はそういう村です。

今食べている食べ物や使用している薪は買ってきたわけではなく、みんなが持ち寄ってくれたものです。ペマのお客さんが来るとのことでみんなが持ってきてくれました。これは村の人みんなの協力のたまものです。ここでは何か買わないといけないというものはほとんどありません。

Q.家計とか、所有とか、個人という概念はないのですか?

A.ペマ兄:この家には誰が住むとか、この畑では誰が種をまくかなど所有しているという概念はあります。
その人間関係によっても変化します。たとえば、兄弟で仲が悪い兄弟で協力関係の成立していない兄弟が自分のところに入ってきたらけんかになる場合があります。しかし、兄弟でも親戚でもない仲良しの人がちょっとはみ出してなんかやっていても問題ないという場合もあります。所有という概念はありますがとてもフレキシブルです。

Q.民主主義になって選挙に行っていますか?

A.辻:投票は新しいことでとても大変です。以前ブータンに来たときに正装して家族でお弁当箱をもって出かけているところを見ました。「どこへ行くのですか」と尋ねると「投票の練習に行く」と答えが返ってきました。まるでお祭りみたいでした。彼らは何をしにいくのか本当はわかっていないのではないかという感じでした。投票が始まる2か月前にペマのお兄さんと奥さんの兄弟でこの辺の投票はどうするのかということでティンプーに行ってきました。

Q.政府は選挙が始まる時に民主主義とはどういうことか、選挙とはどういうことか国民に説明したのですか?

A.辻:すごいキャンペーンを行いました。国王が自ら民主主義にすると言い出した時みんなはびっくりして「国王のいうことは何でも聞くけどそれだけはやめてくれ」と言っていました。国王が率先して王政をやめて民主主義にしました。世界の歴史の中でもあまりないことです。国王自ら国をまわって民主主義とはどういうことかをいって回りました。一年位休みの日にみんないい恰好をしてお祭りみたいに集まって選挙の練習をしました。日本でもやったほうがいい!

(続く)


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タグ:チモン村
posted by GNH at 16:41| Comment(0) | 東ブータン
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