<チモン村のオーガニックコットンについて>
インタビュー:2012年11月
文:小久保裕史
前回3月のツアーの時、辻さんとペマはオーガニックコットンについて話し合いました。最初村へコンタクトした時には種がなくてコットン栽培はできないと思いました。しかし、近隣の村に聞き山の向こうのニャスカル村に種がありました。ペマのお父さんはすぐに種をもらいに行きました。ニャスカル村では今でも自給用のオーガニックコットンを育てており、実際にオーガニックコットンの服を着ています。
ニャスカル村でもらった種だけでは足りなかったので、近くの小さな谷に住むボニンさんから種をもらいました。ボニンさんは今でも昔ながらのコットンを作っていて、2年前テレビに出て評判になりました。地域に残って伝統的農業をやることはいいことだという番組でした。政府はこういう生き方があっていいことだといっていました。
ブータンでは4月からモンスーンの時期で少しずつ雨が降り始めます。そして8月いっぱいから9月の初めまで降り続けます。今回種を播いたのは6月末でした。本来なら2カ月前の4月に播くのがふつうです。今回は種をまく時期が遅かったです。普通なら今(11月下旬)収穫期なのですが遅れています。
今回は胸から腰くらいの高さですが本当ならば人間の背丈以上になります。昔は畑のなかに立つと向こうにいる人が見えないくらい高くなりました。蕾も手のひらくらい大きくなります。それに比べて生育は悪いですが蕾は固くしっかり育っています。普通に育ち天気が良ければコットンの収穫時全体が白くまぶしいくらいです。
畑は火を放ち準備をします。しかし今年は雨季が始まっていたので燃やすことができなくて、畑にできなかった場所があります。そのため今年は実験的に小さい土地でやりましたが、来年からは広げたいです。近隣の村の人たちもとても興味を持っているので、来年からは大掛かりにできるのではないかと思います。今の倍くらいはできると思います。
昔コットンを育てていた時は、ものすごい量のコットンを作っていました。切り開くところから収穫までそこに小屋を作り住んでいました。収穫してここで糸を紡ぎ染色して織って着物まで全部ここで作りました。

Q.ニャスカル村やボニンさんから譲って頂いた種はもらったのですか、それとも買ったのですか?
A.種は買ったのではなくて頂きました。
Q.この場所は昔コットン畑だったのですか?
A.以前は雑穀とトウモロコシ畑でした。その後作物は作らず草むらになっていました。そこを急遽開墾してコットン畑にしました。
Q.コットン栽培はなぜ廃れたのですか?
A.35年位前に辞めてしまいました。その頃初めて東側にも道路が登場しました。モンガルやタシガンに道路が来ると、チモン村や周辺の村の人々は労働力としてかり出されました。労働をすると現金収入が入ります。収入を得れば簡単に服が買えることを知りました。いくらコットンを作ったところで、自給にはなっても現金にはなりません。現金収入が重要になりました。そして徐々に市場経済に巻き込まれていきました。コットンを育ていく意味がなくなり忘れられてしまいました。
Q.コットンは大量の農薬を必要と聞きます。オーガニックコットンの栽培のむずかしさを感じませんか?
A.一切農薬も何もいりません。ただ今回は種を播く時期が遅かっただけです。天敵としてはねずみ、鹿があげられます。鹿は木全体を食べてしまいます。向こう側では鹿に食べられた後もあります。獣道を把握しているのでその出入り口に罠を仕掛けてあります。昔そこに小屋を建てて住んだという意味はそれも関係があります。それと古い種だとうまく育ちません。

Q.自家採取はできますか?
A.自家採取しています。
石井:インドではコットンの種は買うものです。オーガニックはオーガニックの種屋から買います。
辻:チモン村は自給の村だから市場経済の段階が違います。ブータンの農家では遺伝子組み換えなど知りません。酵母も自給しているくらいです。
辻:単にオーガニックコットンを経済市場に出すのでは太刀打ちできません。オーガニックコットンを求める人やフェアトレードならオーガニックコットンを買いたいという人が世界中にいます。その世界のニーズとつながりながら文化を復活させていけばよいと思います。しかも経済的な基盤にもつながっていきます。
これは理想郷で夢みたいな話ですが、まだブータンならあり得るのではないかと思います。なぜならブータンは国を挙げてオーガニックに舵を切ろうと決めた国なのです。そんな国は世界中にありません。うまく利用して村の持続可能なあり方をここからモデルとして提案できればいいなと思います。
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