みなさん、こんにちは。実りの秋を満喫していらっしゃいますか?
9月に西部ブータンを訪れたメンバーから、旅の報告コラムが届きはじめています。
このGNHブログでも順に紹介していきたいと思います!
>>ブータンGNHツアー2014・秋の概要についてはこちら。
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生活に根付いたブータン人の信仰心
田中けいこ
何本もまとまって立てられた白い旗ダルシンが街中にはためいている。日本の神社に立つ幟のようだ。山肌を縦横無尽にのびるルンタ。こちらは、青、黄、緑、白、赤、とカラフルな小さな布が無数に連なる。青は水、黄は太陽、緑は大地、白は風、赤は火を象徴している。ルンタは風が吹くところ、そして水が流れているところに架ける。風や水の流れに乗って、ブータンの隅々にまで祈りが届くと信じられている。
日本にも、水の神様、森の神様、火の神様など自然を崇めるアニミズムがある。ブータンと日本は似ていると感じた点だ。日本にいると、残念ながら日々の生活ではあまり水の神様、森の神様、火の神様などと口にしたり祀ったりしなくなっていることに、気づかされる。
もう一つ街中でも山中でもよく見かけるのがマニ車だ。お寺に行けば、建物の壁面に埋め込まれたマニ車を回しながら周回している人たちがいる。山の中では、水の流れを利用してマニ車が回っている。マニ車を回すことで経文を読んだことになり、功徳が積めるのだ。
ダルシンについては、ブータン滞在中に聞きそびれてしまったので、帰国後少し調べてみた。亡くなった方が成仏できるようにと108本のダルシンを立てていたが、沢山の樹を切り倒す必要があるので、現在では一人に対し27本のダルシンを立てるのだそうだ。ダルシンも街中にも、山の中腹にも良く見かける。日本では、法事、お盆、春分、秋分の日だけお墓参りに行くけれど、ブータンでは亡くなった方を偲ぶことは日常なのだろう。
死者を大切にする慣習は、食事時にも見られる。レストランでは、自分の前に大皿、その左に小皿(日本だとレストランでパンをのせるくらいのサイズ)が並んでいる。食事はビュッフェスタイルだ。大皿に好きなものを取り、食後のデザートはレストランのスタッフが持ってきてくれるためその小皿を使うことはなく、何のためのお皿なのか不思議だった。
最終日、パロの町を散策した日に、謎が解けた。初めてドライバーのヤンクーと一緒に食事をした。彼が、大皿に料理を取り、その中から、一口分のご飯とエマダチ(唐辛子のチーズ煮込み)をその小皿に取り分けた。それは、亡くなった方へのお供えだという。死者はいつ、どこに現れて、いつお腹が空いているか現世に生きる私たちには分からないので、彼らの分は別皿に取り分けるのだそうだ。そして、死者は実際に食べる訳ではなく香りで空腹を満たすので、少量で良いとのこと。何となく、かわいらしいと思った。ブータンでは、今肉体を持っている私たちと死者が目には見えないけれど共存している。
ブータン滞在中は、日々自分が感謝することや祈りを忘れているな、と何度も感じた。自分が存在すること、食べるのに困らないこと、沢山のものが周りにに溢れていること、全てを無意識に受け取っていた。それが当たり前だ、という感覚すらなかった、と思う。
ブータンに行く前から、感謝を忘れていることをごくたまに感じていた。だからか、仏像が欲しいなと思っていた。そしてブータンで小さな仏像に出逢い、つれて帰ってきた。毎日良く目にするところに、その仏像は座っている。朝、「おはようございます。」と言い、食事の時には、仏様に、神様に、農家さんに、作物をもたらしてくれた自然に感謝している。ブータンでの滞在は、私は自然の一部なんだと思い出させてくれた。
2014年10月23日
【コラム】生活に根付いたブータン人の信仰心
posted by GNH at 22:31| Comment(2)
| 西ブータン
2014年06月16日
ブータンで出会った子どもたちにみる「GNH」
みなさん、こんにちは。9月のブータンGNHツアー、締め切りまで3週間を切りました。みなさんと一緒にブータンにでかけ、「しあわせ」「豊かさ」を問い直し、日本でどう生きたいかのヒントになるインスピレーションを見つけることができたらと思います!
>>ブータンGNHツアー・2014秋、募集中!こちら。
ブータンで日本からでかける私たちの目がハートになるのは、若き国王夫妻のポスターだけではありません(笑)。車道ですれ違う小さいサイズのキラとゴをかわいく着こなした子どもたち。ブータンでは民族衣装着用が義務付けられているので、これは小学校の制服にあたるわけですが、自分の親戚にも似ている顔立ちの子もいたりして、本当に目が離せません♪
今日は、2012年秋ブータンツアー参加者の大学4年生(当時)のレポートです。彼女は幼稚園の先生志望で、ツアー中も、積極的に子どもから同年代の若者にまで声をかけていました。
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ブータンのこどもたち
村井仁美(GNHツアー2012秋参加者)
私が最初に話しかけた子どもは、ティンプーの伝統治療院に訪問した時に出会った3〜4歳くらいの女の子です。初めから言葉は通じないと分かっていたので、いきなり日本語で声をかけ、表情や身振りを使って関わっていきました。女の子は初めは恥ずかしがっていたけど、すぐに打ち解けることが出来、仲良く一緒に遊びました。帰り際バスに乗ったら、わざわざ「大きいお姉ちゃーん!!(ゾンカ語)」って言って走ってきてお見送りしてくれました。子どもって、言葉がなくてもこんなに仲良くなれたり人を嬉しい気持ちにさせてくれる、すごい存在なんだなあと、改めて感動しました。
ブータンの子どもたちは、少しシャイだけど、接するととてもおだやかな笑顔で応えてくれます。街でこどもたちを見かけて手を振ると、必ず手を振ってくれます。そして優しい!ホームステイ先までの坂道を重い荷物を持って登っていると、学校からの帰りの少年たちが「Can I help me?」と声をかけてくれました(^^)ブータンの“気遣い”“心遣い”ホスピタリティ“の精神を子どもたちからも垣間見ることが出来ました。
ツアー最終日、タクツァン僧院からのくだり道で、ペマちゃん(ガイドさんと同じ名前!!)という17歳の女の子に出会いました。学校が休みだから参拝に来たというペマちゃんは、ガイドのタシさんのご近所さんで、向こうから声をかけてくれました。「はじめまして」から、お友達になるまであっという間。すぐに打ち解けて、仲良くお喋りしながら下山しました。ペマちゃんもそうですが、ブータンの学生は英語がペラペラ。学校では、どの科目も英語で授業が行われているそうです。(それが文化継承には良いとは言えないかも知れませんが…)
私のつたない英語でなんとか会話していると、ブータンの学生ではなんと日本のアニメ「ナルト疾風伝」が流行っているそう。「なんだってばよ!!」の名台詞が飛び出しました。ペマちゃんは日本のアニメや本で日本語を少し勉強しているそうです。楽しいひとときをありがとうペマちゃん!!
現地の学生や子どもたちと接して思ったのは、近代化の波がどんどんブータンに迫っている、ということです。
ブータンでは最近携帯を持つ学生が増え、みんなfacebookをやっています。諸外国との交流も増え、様々な情報が入ってきて、先進国への憧れを強く抱いています。子どもたちに「もしもらえるなら何が欲しい?」と聞くと「パーソナルコンピュータ!!」、「将来は何になりたい?」と聞くと「海外に行けるからパイロット!!」という答え。また道端で会った少年は私に「ねえ、日本には50階建のビルがあるって本当!?」と目をキラキラさせながら聞きました。また、都市部にはクラブがあったり、服装もゴやキラでなく露出の多いTシャツやスカートを着る姿もちらほら見られ、少し戸惑いを感じました。
農村部では、農業を継ぎたくないという子どもが多く、都市に出るため必死に勉強しています。このままでは農業の衰退、農村の過疎化が懸念されます。もうひとつ、ブータンでは10代の自殺者が増えていることが問題となっています。予想外の妊娠、家庭内暴力など家庭の問題が多いですが、中には将来への不安を抱えきれず自殺に至る子どももいるようです。こう考えるとブータンは本当に日本に似ています。日本のほうが発展するスピードが速かっただけで、このまま行くとブータンも日本のようになってしまうと思います。
ブータン政府はこれに気づいていて、学校などで子どもたちの幸せを考えた様々なアクションを行っています。例えば
・「君たちがブータンの希望なんだ」と伝える
・次の世代のために今あるものを残していく取り組み
・子どもが安全にのびのび育つ場所でgreen school(小学校)を建設(畑もつくり命の教育)
・良い人間をつくる、校長や教師の育成
・授業前に毎日5分間瞑想(自分と向き合う時間をつくる)
・毎週水曜日の放課後30分、GNHや環境問題についてディスカッションを行う
などがあるそうです。日本もぜひ見習いたい項目ですね!私も先生になってから実践していきたいです。
子どもは正直。子どもたちの瞳に映る現実、そして未来を輝かせるために、私たち大人が動かなければいけないですね。本当に勉強になりました!!
>>ブータンGNHツアー・2014秋、募集中!こちら。
<ティンプーのお土産物屋さんでの人気商品は、国王ステッカーや国王夫妻のブローチ>
ブータンで日本からでかける私たちの目がハートになるのは、若き国王夫妻のポスターだけではありません(笑)。車道ですれ違う小さいサイズのキラとゴをかわいく着こなした子どもたち。ブータンでは民族衣装着用が義務付けられているので、これは小学校の制服にあたるわけですが、自分の親戚にも似ている顔立ちの子もいたりして、本当に目が離せません♪
今日は、2012年秋ブータンツアー参加者の大学4年生(当時)のレポートです。彼女は幼稚園の先生志望で、ツアー中も、積極的に子どもから同年代の若者にまで声をかけていました。
<イビサ村でのホストファミリーの子どもたちと>
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ブータンのこどもたち
村井仁美(GNHツアー2012秋参加者)
私が最初に話しかけた子どもは、ティンプーの伝統治療院に訪問した時に出会った3〜4歳くらいの女の子です。初めから言葉は通じないと分かっていたので、いきなり日本語で声をかけ、表情や身振りを使って関わっていきました。女の子は初めは恥ずかしがっていたけど、すぐに打ち解けることが出来、仲良く一緒に遊びました。帰り際バスに乗ったら、わざわざ「大きいお姉ちゃーん!!(ゾンカ語)」って言って走ってきてお見送りしてくれました。子どもって、言葉がなくてもこんなに仲良くなれたり人を嬉しい気持ちにさせてくれる、すごい存在なんだなあと、改めて感動しました。
<ティンプーで学校帰りの子どもたちとパチリ>
ブータンの子どもたちは、少しシャイだけど、接するととてもおだやかな笑顔で応えてくれます。街でこどもたちを見かけて手を振ると、必ず手を振ってくれます。そして優しい!ホームステイ先までの坂道を重い荷物を持って登っていると、学校からの帰りの少年たちが「Can I help me?」と声をかけてくれました(^^)ブータンの“気遣い”“心遣い”ホスピタリティ“の精神を子どもたちからも垣間見ることが出来ました。
<イビサ村の子どもたち>
ツアー最終日、タクツァン僧院からのくだり道で、ペマちゃん(ガイドさんと同じ名前!!)という17歳の女の子に出会いました。学校が休みだから参拝に来たというペマちゃんは、ガイドのタシさんのご近所さんで、向こうから声をかけてくれました。「はじめまして」から、お友達になるまであっという間。すぐに打ち解けて、仲良くお喋りしながら下山しました。ペマちゃんもそうですが、ブータンの学生は英語がペラペラ。学校では、どの科目も英語で授業が行われているそうです。(それが文化継承には良いとは言えないかも知れませんが…)
私のつたない英語でなんとか会話していると、ブータンの学生ではなんと日本のアニメ「ナルト疾風伝」が流行っているそう。「なんだってばよ!!」の名台詞が飛び出しました。ペマちゃんは日本のアニメや本で日本語を少し勉強しているそうです。楽しいひとときをありがとうペマちゃん!!
現地の学生や子どもたちと接して思ったのは、近代化の波がどんどんブータンに迫っている、ということです。
ブータンでは最近携帯を持つ学生が増え、みんなfacebookをやっています。諸外国との交流も増え、様々な情報が入ってきて、先進国への憧れを強く抱いています。子どもたちに「もしもらえるなら何が欲しい?」と聞くと「パーソナルコンピュータ!!」、「将来は何になりたい?」と聞くと「海外に行けるからパイロット!!」という答え。また道端で会った少年は私に「ねえ、日本には50階建のビルがあるって本当!?」と目をキラキラさせながら聞きました。また、都市部にはクラブがあったり、服装もゴやキラでなく露出の多いTシャツやスカートを着る姿もちらほら見られ、少し戸惑いを感じました。
<ティンプーの映画館>
農村部では、農業を継ぎたくないという子どもが多く、都市に出るため必死に勉強しています。このままでは農業の衰退、農村の過疎化が懸念されます。もうひとつ、ブータンでは10代の自殺者が増えていることが問題となっています。予想外の妊娠、家庭内暴力など家庭の問題が多いですが、中には将来への不安を抱えきれず自殺に至る子どももいるようです。こう考えるとブータンは本当に日本に似ています。日本のほうが発展するスピードが速かっただけで、このまま行くとブータンも日本のようになってしまうと思います。
<パロのドルジさん宅で話をしてくれた高校生。ペラペラの英語で「経済学を勉強して、都会で暮らすんだ。GNHの精神は併せ持つことが可能」と熱い思いを語ってくれました>
ブータン政府はこれに気づいていて、学校などで子どもたちの幸せを考えた様々なアクションを行っています。例えば
・「君たちがブータンの希望なんだ」と伝える
・次の世代のために今あるものを残していく取り組み
・子どもが安全にのびのび育つ場所でgreen school(小学校)を建設(畑もつくり命の教育)
・良い人間をつくる、校長や教師の育成
・授業前に毎日5分間瞑想(自分と向き合う時間をつくる)
・毎週水曜日の放課後30分、GNHや環境問題についてディスカッションを行う
などがあるそうです。日本もぜひ見習いたい項目ですね!私も先生になってから実践していきたいです。
子どもは正直。子どもたちの瞳に映る現実、そして未来を輝かせるために、私たち大人が動かなければいけないですね。本当に勉強になりました!!
posted by GNH at 14:15| Comment(292)
| 西ブータン
2014年06月10日
イビサ村で「ブータンふつうの暮らし」を体験!
ツアーでは毎回好評のホームステイ。ホテルでの宿泊や日中にブータンの人たちと会話をするのとは違い、寝食を共にすることで見えてくるブータンの人々に根付く価値観を垣間見ることができます。
2014年もプナカ県イビサ村でのホームステイを盛り込んでいます。
>>ブータンGNHツアー・2014秋、募集中!こちら。
■ ■ ■
荒引圭子(GNHツアー2013秋・参加者)
私がホームステイをさせてもらったお宅の息子さんは、テンジン(tenzin) くん。日本語名「むさし」くん。21 歳。日本語の勉強をしながらたまにガイドの仕事をしているそう。。将来はメディアリポーターの仕事をしたいとのこと。インドの大学を卒業、日本語も2 ヶ月勉強。日本語を勉強した理由は、先生からブータンの観光客の50% は日本人だと教えられたからとのこと。
家族構成は、母、ウォンチュさん、父、リンチェンさん、おじいさん、兄、姪っ子、ピンゾーチョディちゃん。お母さんが料理を作り、テンジンくんは率先して食事を運ぶのを手伝っていた。自分たちより先に、私達に食事を食べさせてくれたり、たくさんの料理を出しておもてなしをしてくれた。料理を食べ終わる前から、次つぎに勧めてくれるので、「ミジュ(もう充分です)」と言って何度かお断りをした。とてもよくしていただいた。
お母さんは、大きなきゅうりを食べるためにナイフで切っていたが、汁気のある皮を床に落としてしまい、でも最後は竹のほうきで掃いていたのには驚いた。
お父さんとお母さんは、ドマと呼ばれる、噛みたばこのようなものをしょっちゅう噛んでいた。袋に緑の葉っぱとナッツを入れ、小さな入れ物にライムの白いクリームを入れて、持っていた。緑の葉っぱにクリームをつけて、ナッツを入れて巻いて、口の中で噛む。テンジンくん曰く、気分が高揚するようだ。健康によくないから、両親にもあまりやってほしくないと思っている。ちなみに、彼はやらない。噛むと口の中と口角が赤ピンク色に染まる。ブータンでは、ドマをしてると思われる口角を赤ピンク色に染めた人を何人も見かけた。
木造家屋で高床式になっていて、小さなはしごを昇って、部屋の中に入った。網戸やおしゃれな家具などはなく、外には牛小屋や鶏、まきでと鍋で調理する場所、たらいがあって洗濯する場所、屋外に自分で水を組んで流すトイレがあった。生活は質素だが、テレビ、冷蔵庫、扇風機、ラジオカセット、携帯電話は使われていた。
寝室として案内してくれた2 階には、国王の写真が額に入れて飾ってあった。薄い布団を2 組敷いてくれていた。網戸がないため、朝には何箇所か蚊に刺された。ツアーメイトの中には、23 箇所ダニに刺された人やハチに刺された人もいたようだ。
お父さんは、夜も朝もお経をとなえていて宗教が生活の習慣の一部になっているのを感じた。はじめてのお客さんが来ても、自然体で風通しよい雰囲気の村の人々に穏やかな気持ちにさせてもらいました。
2014年もプナカ県イビサ村でのホームステイを盛り込んでいます。
>>ブータンGNHツアー・2014秋、募集中!こちら。
■ ■ ■
荒引圭子(GNHツアー2013秋・参加者)
私がホームステイをさせてもらったお宅の息子さんは、テンジン(tenzin) くん。日本語名「むさし」くん。21 歳。日本語の勉強をしながらたまにガイドの仕事をしているそう。。将来はメディアリポーターの仕事をしたいとのこと。インドの大学を卒業、日本語も2 ヶ月勉強。日本語を勉強した理由は、先生からブータンの観光客の50% は日本人だと教えられたからとのこと。
家族構成は、母、ウォンチュさん、父、リンチェンさん、おじいさん、兄、姪っ子、ピンゾーチョディちゃん。お母さんが料理を作り、テンジンくんは率先して食事を運ぶのを手伝っていた。自分たちより先に、私達に食事を食べさせてくれたり、たくさんの料理を出しておもてなしをしてくれた。料理を食べ終わる前から、次つぎに勧めてくれるので、「ミジュ(もう充分です)」と言って何度かお断りをした。とてもよくしていただいた。
お母さんは、大きなきゅうりを食べるためにナイフで切っていたが、汁気のある皮を床に落としてしまい、でも最後は竹のほうきで掃いていたのには驚いた。
お父さんとお母さんは、ドマと呼ばれる、噛みたばこのようなものをしょっちゅう噛んでいた。袋に緑の葉っぱとナッツを入れ、小さな入れ物にライムの白いクリームを入れて、持っていた。緑の葉っぱにクリームをつけて、ナッツを入れて巻いて、口の中で噛む。テンジンくん曰く、気分が高揚するようだ。健康によくないから、両親にもあまりやってほしくないと思っている。ちなみに、彼はやらない。噛むと口の中と口角が赤ピンク色に染まる。ブータンでは、ドマをしてると思われる口角を赤ピンク色に染めた人を何人も見かけた。
木造家屋で高床式になっていて、小さなはしごを昇って、部屋の中に入った。網戸やおしゃれな家具などはなく、外には牛小屋や鶏、まきでと鍋で調理する場所、たらいがあって洗濯する場所、屋外に自分で水を組んで流すトイレがあった。生活は質素だが、テレビ、冷蔵庫、扇風機、ラジオカセット、携帯電話は使われていた。
寝室として案内してくれた2 階には、国王の写真が額に入れて飾ってあった。薄い布団を2 組敷いてくれていた。網戸がないため、朝には何箇所か蚊に刺された。ツアーメイトの中には、23 箇所ダニに刺された人やハチに刺された人もいたようだ。
お父さんは、夜も朝もお経をとなえていて宗教が生活の習慣の一部になっているのを感じた。はじめてのお客さんが来ても、自然体で風通しよい雰囲気の村の人々に穏やかな気持ちにさせてもらいました。
posted by GNH at 11:13| Comment(0)
| 西ブータン