2013年08月06日

チモン村の学校訪問

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<<2012年冬、ブータン東部ツアー報告集より>>

ツアー4日目午後、チモン村の学校を訪問しました。まず校長先生から学校についてお話しを伺いました。その後、下條ゆりさんを中心にツアー参加者みんなで生徒に鶴の折り方を教えました。
鶴教室が終わり、ツアー参加者の自己紹介を行いました。そして生徒へインタビューをしました。生徒から歌のプレゼントを頂きました。お返しに日本の歌、カエルの歌(輪唱)と故郷を歌いました。

<校長先生の説明>

6歳になったら学校へ入ります。ブータンの公用語はゾンカ語ですが、ゾンカ語は西部の言葉のため、ここでは入学前はシャチョップ語(東部の言葉)しか話せません。入学してゾンカ語、英語の2つの言語を習います。

入学後、シャチョップ語で質問されても、先生はゾンカ語か英語で答えるようにしています。この学校に来るということは、新しい言葉を2つ学ぶのだということを徹底しています。今後世界とやりとりするには必要なことだと思っています。

学校は義務教育です。歴史は新しくこの学校は先日25周年を迎えました。ペマの子供の頃にはありませんでした。昔はブータン人の先生がいなかったのでインド人が先生をやっていました。私はこの学校の最初の生徒でした。先生になり約11年ペマガチェルの学校で教師をしていましたが、今年自分の母校に校長として帰ってきました。

11月11日に25周年記念の会を開催しました。この学校の創設者や近隣の学校の校長を来賓として呼びました。創設者は学校を竹で作り、屋根はバナナの葉っぱだったと言っていました。そういうところから非常に苦労して立ち上げていきました。そういった功績をたたえて、30p弱のブッタの像を差し上げました。校内にあるマニ車も25周年記念のために新しく作られました。

今生徒の人数は65人です。PP(Pre Primary)の生徒は今ほとんどいませんが来年は増えて全校の生徒数は80人から90人になる予定です。
※PP:日本でいう幼稚園みたいなもの。ブータンでは幼稚園に入るとは言わず、学校に早く入るという感覚。

教室に移動してみんなで折り紙で鶴の折り方を教えました。みんな器用でうまく折ることができました。

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<校長先生より>

みなさんをお迎えして光栄です。この子たちは初めて海外の人を迎えてそしてこうやって交流できています。彼らの記憶にも刻まれると思います。ありがとうございます。

<生徒へ質問>
生徒へ質問しようとすると恥ずかしがってなかなか答えてくれませんでした。そのため質問を投げかけて手をあげてもらう方式に変えました。

質問内容・・・幸せな時はどういう時ですか?どういう時楽しいですか?
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・勉強している時
・ダンスをしている時
・ご飯を食べている時
・お父さん、お母さんの手伝いをした時
・仕事(掃除、料理)している時
・赤ちゃんの世話をしている時
・本を読んでいる時
・宿題している時
・勉強しているとき、科目は科学、数学、英語、ゾンカ語などがあがりました。

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2013年08月01日

チモン村1日目夜インタビュー:結婚、夜這い

インタビューその1の続き)

Q.結婚は何歳ぐらいでしますか?

A.ペマ兄:政府は18歳以降に結婚するように言っていますが女性は15、16歳で結婚します。男性は18、19歳位です

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Q.結婚式はするのですか?

A.ペマ兄:私の場合妻の親戚などに合計3頭の豚を用意してプレゼントしました。そこにみんなが集まってきて宴会をします。今は大げさなことはしません。

ブータンでは身分制度があり誰とでも結婚できるわけではありません。同じ身分の人と結婚をします。最近になり下の身分の人たちはあいまいになっていますが上の身分の人は上の身分の人を探します。

辻:ペマ家は名家です。ひいおじいさんは歴史に残るくらいのブータンでは有名な人です。だからこそそれは守らなければいけません。誰とでも結婚できるわけではありません。身分の低い人と結婚しようと言ったら両親は家に入れてくれません。ソナムの結婚相手は西側の人です。それでも結婚するときは彼女の両親のところに行って家がどういうところか確認しました。

Q.夜這いについて教えてください?

A.ソナム:夜這いは結婚とは別です。結婚とは関係ありません。自分の村や知っているところで知っている人と逢引をすることはあります。そのほかにたとえば仕事でどこか行く途中でキャンプをして、近くの村に女の子を探しに行くということもあります。

Q.女性は拒むことはありますか?

A.ソナム:自分は拒まれることはありません。子供ができた場合結婚することもありますし、賠償金、養育費を払う場合もあります。親の世代はアラ(お酒)、卵、バターなど渡していました。

Q.ブータンのHIVについて教えてください。

A.ソナム:去年、おととしと5ケースくらいありました。

Q.サムジョプサルの国境付近でHIVの看板を見ました。

A.ソナム:政府が宣伝していて、特にインドとの国境付近で感染者がでています。しかしこの村では心配ありません。

Q.ブータンでは女系家族で婿入りが主流と本で読みました。しかし、チモン村では違うようですがどうですか?

A.辻:女系か男系かというのはとてもむずかしいです。離婚した時にどちらが出ていくかっという問題があります。僕が今までブータンの色々なところで聞いたのは、男性が出ていかなくてはいけないということが圧倒的に多いです。

ソナム:場合によります。男性が問題を起こした時は男性が出て、女性が問題を起こした時は女性が出ていきます。

辻:よく行く村のケースでは、女の人ばかりで男の人がいない村があります。子供がいてわかれるときは旦那が外に出ていくので母子家庭ばかりになってしまいます。

Q.その場合どうやって子供を育てるのですか?
A.辻:一族で育てていきます。男性がいなくても女性だけで何でもやっています。

<チモン村の女性達に質問>

Q.どんな時幸せですか?
A.ペマ母:私は歌がうまくて、歌を歌っているときが一番幸せです。特に若いころは口を閉じているときがない位、常に歌を歌っていました。
若いときは死について考えていませんでした。私くらい歳をとると死ぬ準備をします。毎日マニ車を回し功徳を積み来世の準備をしています。それが私にとっての今の幸せです。

辻:これが幸せの秘密だと思います。

Q.同じ質問を違う女性に
A.ペマの兄弟:お客さんが来たときが一番幸せな時です。特に人が集まる時が一番楽しいです。最近は子供達も家からいなくなって夫婦しかいないし、大好きなお父さん、お母さんもお祈りが忙しくて人が集まってパーティー(宴会)することが少なくなってしましました。
みなさんと言葉が通じないことが残念です。自分は英語も日本語もできません。みなさんもチモン村の言葉ができません。

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Q.殺生について西ではやらないと言っていましたが、東ではするのですか?

A.辻:殺生はします。今日食べた鳥もそうです。西側はないということにしています。

下條:ペマは「自分で殺したものを自分で食べなければよい」と言っていました。

辻:ここでは自分達で屠殺して食べます。西側では屠殺人がいたりインドから輸入したりすると言っています。もともとは西と東では違う文化です。それから仏教ではやらない生贄もありました。

Q.どういう生贄ですか?

A.辻:やぎなど動物です。

ペマ兄:12年ごとの儀式というものがあってそこでは豚を生贄にします。

辻:ボン教というものがあります。もともとはシャーマニズムでしたが仏教化したものです。今シャーマニズムはなくなりつつあります。政府もなるべく外にみせないようにしています。

ペマは近代化の最初の世代です。彼のちょっと下の世代から一斉に学校に行き始めました。彼は自分より若い人たちが「自分たちは学校に行ったんだぞ」と偉そうに帰ってくるのを見ていました。「ここにいて幸せだろ」とお父さんとお母さんは学校に行くことを反対しました。

幸せだけどこのままだと自分より若い連中に置いていかれるという思いで、家出をして学校に行きました。ペマの世代(40代後半)は古い世界と新しい世界の間にいます。シャーマニズムが消えていくというのは非常にまずいことだとペマはわかっています。ソナム(20代後半から30代前半)の世代になるとずいぶん違います。

ペマが時々おじいさんみたいなしゃべり方をしていることがあります。それだけ急速に変わってきています。
私と同じくらいの世代の村人が「昔はよかったよ」と話していました。まるで江戸時代の話みたいでした。「俺たちはあまり働かなかったな、とにかく時間が十分あって仕事をしなくても生きていけたよ。女の尻だけをおいかけていればよかったよ」と言っていました。その他、チモン村では「火の中にみかんの種や皮を入れるとみかんの木が乾燥してしまう」と言われています。


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2013年07月30日

チモン村1日目夜インタビューその1


<<2012年冬の東部ツアーより>>

チモン村到着して少し休み夕飯。夕食後、ペマの父、ペマの兄、ペマ、ソナムとツアー参加者で火を囲みチモン村について伺いました。

Q.チモン村の人口はどれ位ですか?

A.ペマ兄:谷の上の人を合わせると1000人です。谷間のこの場所は700人です。

Q.何世帯ですか?
A.ペマ兄:72世帯です。一つの所帯に兄弟やその子供が10〜15人いるということもあるので、72世帯はおかしくないです。小さな家族はごくわずかです。

Q.子供は何人位いるのですか?

A.ペマ兄:平均すると9〜10人です。13、14人いるところもあります。3、4人のところもありますが少ないです。1軒に22人暮らしているところもあります。世帯といっても拡大家族です。親戚みんなで暮らしているので22人です。

辻:ペマとソナムは日本でいうといとこですが、ブータンでは兄弟とみなされます。ペマのお母さんとソナムのお母さんは姉妹です。その子供たちは兄弟とされます。人類学でいう平行いとこです。

Q.子供が少なくなっていることをどう思いますか?

A.ペマ父:いいことではありません。家族がどんどん増えて賑わっているほうがいいことだと思います。自分の子供は10人です。しかし息子(ペマ)の子供は2人です。だんだん少なくなっているのはよい傾向ではありません。子供や孫が色々なところにいて、どこに行っても自分の家族がいるということが幸せです。

Q.どうして子どもが少なくなっているのですか?

A.ペマ父:政府の政策と教育(家族計画)があるからです。

ペマ兄:政府がそういうことをするには理由があります。子供たちの教育は無料であるため人数が増えると支出が増えます。人数が増えすぎると限界があります。貧乏な人がより貧乏になったら困ります。

もう一つ土地の問題があります。土地にも限りがあります。かつては土地を所有していない人にも土地をわけてみんなが自分の土地をもった自立した農民になることができました。しかしこのまま人口が増えいくと土地を小さく区切ることになり自立できなくなってしまいます。

かつては土地に限界がなく自由でした。十分な土地があり調整して父は10人の子に分配できました。しかし今私が所有している土地を子供4人に分配すると土地は小さくなってしまいます。そうすると一人の土地が小さく自立した農民ではなくなってしまいます。

Q.昔と今どちらが幸せですか?

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A.ペマ父:昔に比べて今は幸せです。以前は教育がなく無知でした。村の外から人が来てラゲの長さ(ゴの袖の折り返し、ラゲの長さは権力をあらわす)や靴をはいていたりサンダルを履いていたりするのを見ただけで恐れるくらい人々は無知でした。今日教育を受けることによって無知でなくなりました。今こうして海外から人々が来てくれて一緒に過ごすことができて幸せです。

Q.チモン村の医療について教えてください。

A.ペマ兄:村民は何をしたらよいのかわからないので、病人がでると私たちのこの家に連れてきます。この家は村長ではありませんが昔から村の中心の家です。病人の家族はなんとかしてくれとアラ、バンチャンをお礼にして持ってきます。そして運ぶ人を集めBHU (Basic Health Unit の略。村単位の医療機関でほとんどのBHU には医師はいない)に連れて行きます。

BHUでもたいした処置はできないのでそこで対処できない場合は背負ったり、馬に背負わせたりして車が通れるところまで連れて行きます。その運ぶ人たちにもアラやバンチャンを振舞います。これは村民みんなが協力しあう良い習慣だと思います。アラやバンチャンを持って来ればみんなで助け合います。昨年私自身が経験しました。22人が協力してモンガルの病院まで運んでくれました。

Q.基本的処置(薬草を処方するなど)ができる人はいないのですか?

A.ペマ兄:頭痛、腹痛、蛇や草などの毒に対する基本的なことは村人のだいたいの人ができます。しかし処置をする前にやることは祈ることです。医療の仏様(全身が青い、一種の薬師如来)に祈って、そのあとに基本的な処置をします。

辻:チモン村にはボン教というシャーマニズム的なものがあります。今は仏教と融合してしまっていますが、もともとの在来の宗教です。仏教が広まって、ある意味地下に潜ってしまいました。表面的には仏教ですがその下にはシャーマニズム的なものがあります。日本と同じように混合してしまいました。

Q.心の病はありますか?

A.ペマ兄:うつ病はありません。何の心配もありません。悩みもないです。悩みというものを感じたことがありません。うつ病という言葉は聞いたことはありますがそれはものを考える人のためにある問題だと思います。ここの人はものを考えません。野心もありません。ああしなくてはいけないとかこうしなくてはいけないということもないので悩みもありません。

うつ病になったりストレスを持ったりする人はどういう人かというと、お金を追い求めている人です。お店をやっている人や道路工事にかかわる人などお金を持ちたい人たちが病気になるのではないですか。

チモン村の人たちはこれまで自分の持っているもので満足していました。その日その日夕食にごはんがあって次の日に朝ごはんがあって、昼ごはんがあればそれでよいではありませんか。未来はわかりません。将来ここでもそういった色々な心配が起きてくるかもしれません。少なくてもこれまではありませんでした。

外の人たちや村から外に出た人たちはこの村の開発だとか発展ということを考えます。この村にいる人たちはそういうことはどうでもよいし別にそういうことも考えていません。考える人が悩んだり心配になったりしてしまうのではないかと思います。

Q.人生振り返ってどんな時が一番幸せでしたか?

A.ペマ兄:結婚した時です。

ペマ父:私は小さいときに両親が亡くなりました。お姉さんのところでお世話になり私を育ててくれました。
そこで牛の面倒をみていました。そして牛飼いになりましたが正直一番の楽しみは釣りでした。釣りは殺生なので西部ではあまりよくない行為とされていますが、ここは東側の先住民のところなので殺生は行われていました。魚が捕れると楽しかったです。

だんだん狩りが好きになりプロの狩人になりました。イノシシ、シカ、トナカイなどをとってみんなに分け与えました。これが自分の人生のなかでもっとも幸せなことでした。狩りは弓矢と罠でします。

殺生は仏教ではよくないこととされています。今は年をとって来世の準備をしなくてはいけません。来世は殺生をどれだけしたかによって決まってしまいます。そういうことで今は狩りをやめて僧院にいって来世に行くためにするべきことをしています。そういう境地に入っています。

Q.チモン村の人々の職業はどういうものがありますか?職業という概念はあるのですか?

A.ペマ兄:純粋な意味での職業はありません。みんな同じ自給的な暮らしをしてきました。今教育を受けることによる問題が現れてきています。教育を受けた人はここではやることがありません。教育を受けた人は外へ職業を得るため出ていきます。ここにある職業は「学校の先生」「お店」「大工」などです。大工は大工だけで生きているわけではなく他のことをやりながら大工をやっています。たとえば農業をやりながら大工をします。

ペマの依頼でコットンをはじめました。父がそこの責任者です。コットン栽培には人手がいるため、来た人にはお金やお礼をして手伝ってもらいます。いつでも仕事をしたい人、やってくれる人はいくらでもいます。時には現金、時には何かのお礼を渡します。(たとえば食事など)特定の職業というものはありませんがどんな仕事でもやってくれる人、やりたい人は常にいます。

Q自給的な暮らしをしているのでお金を稼ぐ仕事をする必要はないと思います。仕事は家族単位で行われていると思いますが、家族間で物々交換などが行われることはありますか。それとも家族内で完結しているのですか?

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A.ペマ兄:この村は非常に幸せな村です。それはどういうことかというと一つ一つの家族という世帯で考えたなら自給はできていませんし自立できていません。一つの家族が自給するのではなくて村全体で自給しています。

今日もたくさんの人が集まって料理をする人や色々な用事をしてくれる人がいつもいてくれます。普通の村ではできないことです。何かがある時はみんなが集まって協力します。誰も除外されないでみんなが幸せです。チモン村はそういう村です。

今食べている食べ物や使用している薪は買ってきたわけではなく、みんなが持ち寄ってくれたものです。ペマのお客さんが来るとのことでみんなが持ってきてくれました。これは村の人みんなの協力のたまものです。ここでは何か買わないといけないというものはほとんどありません。

Q.家計とか、所有とか、個人という概念はないのですか?

A.ペマ兄:この家には誰が住むとか、この畑では誰が種をまくかなど所有しているという概念はあります。
その人間関係によっても変化します。たとえば、兄弟で仲が悪い兄弟で協力関係の成立していない兄弟が自分のところに入ってきたらけんかになる場合があります。しかし、兄弟でも親戚でもない仲良しの人がちょっとはみ出してなんかやっていても問題ないという場合もあります。所有という概念はありますがとてもフレキシブルです。

Q.民主主義になって選挙に行っていますか?

A.辻:投票は新しいことでとても大変です。以前ブータンに来たときに正装して家族でお弁当箱をもって出かけているところを見ました。「どこへ行くのですか」と尋ねると「投票の練習に行く」と答えが返ってきました。まるでお祭りみたいでした。彼らは何をしにいくのか本当はわかっていないのではないかという感じでした。投票が始まる2か月前にペマのお兄さんと奥さんの兄弟でこの辺の投票はどうするのかということでティンプーに行ってきました。

Q.政府は選挙が始まる時に民主主義とはどういうことか、選挙とはどういうことか国民に説明したのですか?

A.辻:すごいキャンペーンを行いました。国王が自ら民主主義にすると言い出した時みんなはびっくりして「国王のいうことは何でも聞くけどそれだけはやめてくれ」と言っていました。国王が率先して王政をやめて民主主義にしました。世界の歴史の中でもあまりないことです。国王自ら国をまわって民主主義とはどういうことかをいって回りました。一年位休みの日にみんないい恰好をしてお祭りみたいに集まって選挙の練習をしました。日本でもやったほうがいい!

(続く)


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